「あっ、ヤマト隊長だ!」
「あれ、ナルトにサスケ。おはよう」
「おはよう!久しぶりだってばよ!」
「そうだね、最近は任務続きだったから。それにしても、こんなところで二人そろってなんて珍しいね。どうしたの、仕事は?」
「おー、ちょっとな!今日はなんていうか、特別っていうの?朝の散歩だってばよ。ほらサスケ、お前挨拶は?」
「……お、おはようござい……ます」
「……え、なんで敬語?」

なんだあれ、とシカマルは三度まばたきを繰り返した。

「なんだよサスケ、声ちいせーなー。なにお前、もしかしてまだ恥ずかしがってんの?まさか今更後悔してんのかってば?」
「っ、誰が!」
「あれー、火影様にそんな口聞いていいんだっけ」
「……ッ」

抱えていた書類をバサバサと地面に落としそうになるのを、慌てて持ち直す。ピーチクと頭上で小鳥が囀ずった。水気のない秋晴れの空に、まだ昇ったばかりの淡い太陽が遠く揺蕩う。柔らかな朝焼け。あー綺麗だ、疲れた朝にはもってこい。

「約束忘れちゃったのかよ、サスケちゃん。逆らっていいのかってば?」
「……いえ」
「だよなー。ま、素直に謝れば俺はぜんぜん気にしねーけど。ほら、ごめんなさいは?」
「……ご、」
「ご?」
「……………………ごめんなさい……」

あー、俺マジで疲れんのかな。
シカマルは眉間をぐりぐりと押さえて、低く唸った。この時期はなにぶん雑務が多くて困る。どうでもいいわりに手間の掛かる仕事ばかりなのだ。最近は火影邸と自宅の往復でほとんど休む暇がないから、そろそろ疲労が溜まっているのかもしれない。
でもだからってこれはないだろう。いやいや、ない。ねーよ。あのサスケがナルトにしおらしく謝る姿なんて、そうだきっと幻覚だ疲れてんだ寝ちまおう。

人生は驚きの連続、まさしくその通り。でもこんな驚きは要らない。断じて言う。エイプリルフールは今日じゃないのだ。

とりあえず落ち着け、とシカマルは再び腕の中で崩れかけた書類の山を整えた。なんの書類かってそう、火影の、目の前ですごくいい笑顔を振り撒いている金髪馬鹿のお目通しが必要な書類の山だ。ざっと三日分。朝早くに行方を眩ました意外性ナンバーワンのお騒がせ忍者は(なにが一番意外ってそれはこいつが本当に火影になっちまったこと)、溜まった仕事も無視してエスケープ、シカマルが疲労にげっそりしながら火影邸の扉を潜った時は既に執務室を消えていた。新しく追加される分も含めて腕に抱え探しに来てみれば、里の忍達が多く集う待機所で、昨晩任務から帰ってきたばかりのサスケを連れて仲良く談笑ときたものだ。殴って連れ戻そう。そう思っても足が動かないのは、きっとあまりに異常な目の前の状況のせいだろう。だってどう考えてもおかしい。あのサスケが、ナルトが少しでも調子に乗ろうものならお前本当に部下かよ、いやそれ以前に本当に恋人かよ、と聞きたくなるような思いきりの良さで制裁を下す、まさに鬼のようなあのうちはサスケが、ナルトにあんな殊勝な態度を取るなんて。

「ちょっとサスケ、どうしたの一体……?」
「別にどーもしねーってばよ。なーサスケ」
「……はい」
「いやいやおかしい!おかしいよ絶対!」
「サスケ、おかしいってさ。んな照れてねーで、もっと自然にしろってば」
「…………ナルト、もう」

真っ赤な顔をして唇を噛みしめ俯いたサスケのぶるぶる震えた声に(けっしてナルトの言うところの“照れている”せいではない、たぶん屈辱にだ)、しかしナルトは頓着もせず、あれー、といっそ凶悪なまでの無邪気さを孕んだ声を上げる。

「俺のことはなんて呼ぶんだっけ」
「……ッ」
「ほら」
「……………………………火影、さま」

その瞬間遠く離れたシカマルとヤマトの心はぴったりと重なった――異常だ。

先程からやたらと清々しい笑顔を浮かべているナルトに、その隣でいまにも死にそうな顔でげっそりと俯いているサスケ。そんな二人を交互に見比べてだらだら冷や汗を流すヤマト。カオスだ。これをカオスと呼ばずしてなんと呼ぼう。もう俺の手には負えそうにねぇ、とシカマルは顔を引き攣らせた。いっそこのままなにも気付かなかったふりをして、引き返してしまおうか。そう思った、その時。

「――あんにゃろう」

すぐ隣から地を這うような底冷えのする声が響いて、シカマルは思わず三センチほど身を引いた。
竦み上がりながらそちらを見下ろすと、まるでたった今人ひとり始末してきたような顔をしたサクラが、子供なら目を合わせた十人中十人が泣き出すに違いないほど凶悪な目をして、ギロリとナルトを見据えていた。いつの間に隣に、などと思う前に、その並々ならぬオーラにシカマルは心臓を竦ませる。冷静沈着、木の葉きっての有能な参謀、そんな名声をほしいままにしているシカマルですら背筋が凍った。間違いない――あの目は刑務所帰りのヤクザ、いや暗殺者、むしろ肉食獣、百戦錬磨の捕食者の瞳だ。けっして目を合わせてはいけない。

「……あの、サクラ?」

関わりたくねぇと思いつつも、シカマルは仕方なく声をかけた。正直なことを言えば心底面倒くさい、それでも腕の中のこの書類の山を片付けるには、ここで逃げ出さずに恐らく事情を知っているであろうサクラに頼るほかないのだ。

「……大丈夫か、お前」
「大丈夫?ええ、なにを大丈夫と定義するかはよく分からないけれど、今すぐあの金髪を地に沈めたいのをまだ我慢できているという点では大丈夫よ」

明らかに目が笑っていない笑顔と抑揚のない声で言われて、シカマルは、ははは、と渇いた笑みを浮かべる。口元が強張ったのは不可抗力だ。この少女のいざというときの恐ろしさは、よくナルトとサスケに説教をしている姿から分かっていたつもりだけれども(七班の男共はこぞってサクラに敵わない)、今日のこれはまた格別だ。これはかなり、恐ろしい。
原因はどう考えても、今しがた引き攣った顔で去っていったヤマトと話していたあの二人の異常な様子としか思えない。

「……怒ってんのか」
「そう見える?」
「あぁ、まぁ」

かなり、と付け加えると、わずかに唇をひくつかせたサクラがそんなことないわよ、と返す。やりにくさにシカマルはポリポリと後ろ頭を掻いた。極力面倒事には首を突っ込まない性分だから、自分からこんなふうに話を聞くことはあまり慣れない。

「あー……どうしたんだ、あいつら」
「知りたいの?」
「でなきゃ仕事が進まねぇ」

そう、やっぱり仕事ほっといて来たのね、ナルトの奴、後でしっかりと言い聞かせておかなきゃ。百発くらいで足りるかしら。うふふ、全然足りないわよね。シカマルも一緒にどう?
口調は至って穏やかなのに、今はどこまでも不穏に聞こえる冗談(しかも笑えない)を呟いて、それからサクラは、フッ、と自嘲的な笑みを浮かべる。

「ナルト、昨日誕生日じゃない」
「――あぁ」
「去年の誕生日、サスケ君は一日中任務だったわ」

そういえばそんなこともあったな、とシカマルはサクラの横顔を見下ろした。

「雨隠れの国境付近に規模の大きな山賊の一味が蔓延って、大変な時だったじゃない。サスケ君は始末に追われて、夜も寝ないで頑張っていたの。誕生日までには必ず戻る。そう言って、サスケ君は出掛けていったわ。でも結局、ナルトの誕生日には間に合わなかった。十一日の夜中に、サスケ君は泥だらけで火影邸に掛けこんだの。
『わりぃナルト、間に合わなかった……!』
真っ青になって詫びるサスケ君にでもナルトは優しかったわ。男らしくサスケ君を抱きしめてこう言ったの。
『気にすんなってばよ、サスケ。お前が無事に帰ってきてくれただけで俺は嬉しいぜ』
『でも、ナルト……!約束してたのに……!』
『いいんだ。任務だったんだもん、お前のせいじゃねーよ。ほら、疲れてんだろ?ここのシャワー使っていいから、今日はもう休めって。』
『それじゃ俺の気が済まねぇ!なんでも言えよ、任務を早く片付けられなかった俺が悪いんだ。』
『相変わらず頑固だなー。じゃあ分かった。来年の誕生日は一日中、俺と一緒にいてくれってばよ。』
『そんなんでいいのかよ』
『おう。俺ってば別に、サスケが隣にいてくれるだけで幸せだもの』
『ナルト……!』
『サスケェ!』
……そういうわけで、去年のナルトの誕生日は平和に過ぎたわ」

器用に一人二役をこなしたサクラはふぅと息をついて、……今年も平和に過ぎるはずだったんだけどね、と目を眇める。風になびいた淡い桃の髪の毛が朝日に溶けて煌めいた。

「それからサスケ君は頑張ったわ。九月の初めからスケジュールを少しずつ調整し始めて、十日近くには余裕を持って休みを取れるように任務を詰めた。ナルトも一緒にね、毎日任務任務デスクワーク任務、とにかく寝る間も惜しんで頑張ったのよ」

でもね、と疲れたような声。

「最後のサスケ君の任務は、簡単な護衛任務だったわ。土の国に親善に向かった火の国の大名のね。五日の朝から二日間。ただの護衛だし、なにがあっても七日の夜には戻ってこれるはずだったんだけど、そのハゲジジ……火の国の大名がえらくサスケ君を気に入ってね。土の国の治安が悪いだとかなんだとか、いろいろ理由を付けて護衛期間を引き伸ばしてきたのよ。最初は笑ってたナルトもだんだん機嫌が悪くなりだして、最後には仕事はほったらかし。必死に交渉して、やっとサスケ君を返してもらったわ。その間かわいそうなサスケ君はオヤジ共に囲まれてつまらない宴会に顔を出してあまつさえ酌までさせられて、解放されて帰ってきたのは十日の夜中。間に合わなかったのよ、結局ね。サスケ君は真っ青な顔をして謝ったわ――でもナルトは今度こそかなり、怒ってた。
『あーあ、約束、してたのにな』
『本当にすまねぇ、ナルト!来年は絶対一緒にいるから!』
『んなこと言ったて、今年の俺の淋しい誕生日は戻ってこねーよ。あー、楽しみにしてたんだけどな、俺。サスケは俺の誕生日なんかどうでもいいんだなー』
『そんなわけねぇだろ!悪かった、今からでもなにか言えよ!なんでもする!』
『……本当に、なんでもするのかよ』
『当たり前だろ!』
『ふーん。じゃあ明日、っていうか今日一日、俺に絶対服従な』 」

そういうわけよ、とサクラはナルトとサスケをくいと顎でしゃくる。まさかこうくるとは思わなかったけどね、そう続けてギロリとナルトを見据えるサクラの空気は、相変わらずのスナイパー。

「サスケ君は悪くないってのに、あんなのサスケ君がかわいそうじゃない」
「……サクラ」
「なに」
「……なんでお前、そんなに詳しく知ってんだ」

ギン、と破壊光線でも出しそうな勢いで、サクラがシカマルを睨み上げた。思わずまた三センチ身を引く。

「そんなの一部始終を見せつけられたからに決まってるじゃない!こちとら徹夜明けでイライラしてるってのに当の火影が目の前で惚気に痴話喧嘩よ!毎年毎年同じようなこと繰り返してまったく!ふざけんじゃないわよ!」

なにが悲しくって初恋の相手と他の男の恋愛事情聞かなくちゃいけないんだっつーの!
悲痛な魂の叫びと共に、ダン、とサクラが地面を蹴った。土埃と共にコンクリート舗装の地面に穴が開く。……怖い。

ヤマトと別れたナルトは新しいターゲットを見つけては次々に声を掛けてそのたびサスケを大人気ないやり方でいじめていた。なるほど、あれは確かにサスケにとって耐えられない罰ゲームだろう。異常な光景に真っ青になって去っていく彼らが哀れ極まりない。やたらいい笑顔をしているナルトは、間違いなく。

「……相当、怒ってんな」
「えぇ」

サスケ君にじゃなくてあのハゲジジイにね、と呆れたようにサクラが付け加える。

「ただの嫉妬よ。拗ねてるの。馬鹿よね、」

ため息をついて、サクラは待機所の前に陣取るナルトとサスケの横顔を見つめた。その瞳は先ほどと比べれば随分と和らいでいて、あぁなにもサクラだって本気でナルトに怒っているわけではないのだ。

その間にもナルトは休むことなく待機所に現れる面々に声を掛け続け、その中にある人物の姿を見留めると、嬉々としながらサスケを引き連れて向かっていく。

「カッカシせんせー!おはようってばよ!」
「っ、……ナルト!やめてくれ、あいつだけは……!」
「お前に拒否権はねーよ、あと火影様って呼べっての」
「………ッ」
「あれー、どうしたのよこんな所で二人して。仕事は?」
「いやーそれが今日は特別でさー。ほらサスケ、あ・い・さ・つ」
「…………………おはようございます」
「……………………………なに、これ」

ここまで来るともうサスケが可哀想を通り越して哀れになってきて、シカマルは口の端をひくつかせる。もはやこの状況をどうにかできる気力もなくなってきた、それはほぼ最初からだが。隣ではサクラがまた一段と空気を黒くした。あぁ誰か、早くこの場を収めてくれ。

「へーそういうこと、じゃあ今日のサスケはナルトの言うこと何でも聞くんだ」
「そーだってばよ!もう俺の言いなりだもんなー、なーサスケ」
「………………はい、火影様」
「へー、ほんとに素直だねー」

一度驚いたように片目をまん丸に見開いたカカシが、面白そうに目をすがめる。

「あっじゃあじゃあ、俺のことカカシ先生って呼んでみてよ」
「おーそうだ、お前下忍のころからずっとカカシ先生のこと呼び捨てだもんな」
「………っ」

サスケの顔からサッと血の気が引いた。

「ほら呼んでみろってばよ、サスケ」
「どーしたの、呼べないの、サスケ。ナルトの命令だよ?」
「…………でも」
「でもじゃねーってばよ、命令だって言ってんだろ?お前早く言わねーともっと過激な命令すんぞこら」
「そーだよ、ナルトは恐いよ、なにさせられるか分かんないよー。俺、一回くらいサスケに先生って呼ばれたいなー」
「…………ッ」

黒い笑顔でサスケに迫るナルト、やたら楽しそうににこにこしながら脅しにかかるカカシ。二人のドSに挟まれてサスケはもはや涙目だった。真っ赤になりながらぶるぶる震え、唇をきゅっと噛み締めること数秒。ふるっと唇を震わせて、(屈辱に)真っ赤に染まった顔を上げ、(屈辱に)涙の潤んだ瞳で上目遣い、ようやくサスケは口を開く。

「…………………カカシ、先生……ッ」

ナルトの背後からムラッという擬音が聞こえた、気がした。

もはやこの二人の異様な様子は里内に広まっていったらしく、待機所の周りには今や遠巻きな(あくまで遠巻きな)人だかりが出来ていた。その中心でナルトとカカシはなんともえげつないサスケいじめを続ける。相変わらず真っ赤になって涙目なサスケには正直、哀れなような少し可愛らしいようなでもやっぱり恐ろしいような。ざわざわと騒がしくなる周囲の面々、引き攣ったその顔。ナルトたちが入口近くに陣取っているから、待機所に入りたい忍も入ることができない。これじゃいつまでたっても仕事にならない、とようやくシカマルは奮い立つ。
あのメンバーに勝てる人物なんて木の葉広しといえども一人しかいないのだ。とりあえずは隣のサクラに協力を仰ごうと、横を振り向いた、その時。

「………サスケくん、かわいい……っ」

翠の瞳を潤ませて頬を紅潮させたサクラが、明らかに興奮した様子で、はぅん、と呟いた。

――あぁお前もか、結局お前も向こう側なのか。

もはや太陽も昇りきった清々しい朝の空を仰いで、シカマルは思った。転職しようかな。





どうにもならないのです
(111014)