小綺麗な造りの茶色の扉の前、ゴクリと息を呑んだ。ナルトの目の前、完璧に磨かれたそのドアの嫌味なほどの光沢はまるで、恐らく中にいるであろう人物と共にナルトを拒絶しているように見えて、少しだけ尻込みをする。
緊張に震える手で、コンコンとノックを二つ。室内の空気が動いた音に、ナルトは逸る気持ちで廊下に立ち尽くした。しばらくして開いたドアから顔を出したサスケは、目の前に立った人間を見留めた途端、あからさまに顔を顰めた。まったくもって予想通りのその反応に、負けじとナルトは満面の笑みを返す。
嫌味なくらいにっこりと、不安なんておくびにも見せないように。

「よぉ、サスケ」



***



自然に囲まれた屋敷からそこそこ発展した街の中心まで、自転車を飛ばして約三十分。ナルトが目指したそのホテルは目立った立地にあって、クシナから名前と住所を聞けば街の地理に疎いナルトにも簡単に辿り着くことができた。
最低限生活が出来れば良さそうな、質素なビジネスホテル。サスケの宿泊先はいかにもサスケらしいセレクとで、少しも豪華なものではなかったけれども、管理は行き届いているのか清潔感があって小奇麗だった。中の造りもなかなかに洒落たもので、ナルトは落ち着かない気持ちで通された部屋の中を見渡す。
サスケはといえばナルトを部屋に入れてからは終始うんざりとした様子で、それでも椅子に座るナルトの前に飲み物を用意すると、ローテーブルを挟んだ向かいに腰掛けて足を組んだ。

「……で、何しに来た」

そうして少し呆れたように、ため息をついた。




唐突に部屋の前に現れたナルトに、サスケは最初分かりやすく顔を顰めた。帰れ、と言わんばかりの視線でサスケはそのまま何も言わずに扉を閉じようとして、ナルトは慌てて扉に手足を掛けて阻止。
問答無用でドアを閉めようとしたサスケも、話だけ、話だけでも、とナルトがみっともなく縋りつくと、呆れたようなため息をついて、結局追い返されることはしなかった。廊下で騒ぐなよ、とため息混じりに諌められて、部屋の中に通される。
そこにはやはりこの前のような隔絶的な雰囲気があったけれども、数年前の夏結局はナルトの押しに負けたように、サスケは今回も、ナルトを無下に拒絶することは出来なかった。
ここで何だかんだとナルトに冷たくできないサスケは、やっぱり優しい、んじゃないだろうか。四年前と変わらないサスケの一面を垣間見た気がして、口元が自然と緩む。
サスケからしたら意味が分からないだろう、嫌に機嫌の良いナルトの笑顔に、サスケは少し辟易した様子で紅茶を啜った。

「そりゃ、サスケがここにいるって聞いたから」
「……誰から」
「母ちゃんから」

クシナさんめ、という顔で一瞬眉を顰めて、サスケは小さなため息をつく。それからカップをテーブルに置くと、すげなく首を振った。

「帰れよ」
「……なんで」
「お前が、ここに来る理由もねーだろ?」

サスケはなるべく酷薄そうに見えるやり方で口元を上げて、けれどもその皮肉めいた笑みは、なんだかナルトの感情を態と逆撫でたがっているように見えた。質問の形を取っておきながら、その実反論を許さない響きだ。サスケは相変わらず、ナルトが自分に好意を持っているという事実すら認めてくれようとしない。その頑なな態度に対する違和感が、相変わらずナルトの胸に痼のように残っている。
けれども今日のナルトには、昨日のようにあっさり引くつもりはなかった。理由ならあるってばよ、と胸を張って言い放つと、サスケは訝しげに眉を顰めて何だよ、と言う。

「サスケに、会いに来た」

真っ直ぐに言い放ったナルトの言葉に、サスケは一瞬鼻白んだように目を見開た。それからすぐにふいと目を逸らすと、嫌に静かな声音で、再び帰れよ、と呟く。何でだよ、と浮き足立つように身を乗り出すと、サスケはため息をついて仕方なそうに言った。

「……そんなの、理由になんねーだろ。馬鹿にしてるのか?」
「してねーってばよ。だから、会いたかったから来たんだっての。それがいけねぇの?」
「良い悪いの問題じゃねーよ。意味がねェって言ってんだ……会って、何がしたいわけ?」
「何がしたいも何も、好きだからだよ」

不意打ちに近いナルトの言葉に、サスケは思わずというように面食らった表情で顔を上げた。呆けたような瞳と目が合って、そのポーカーフェイスが崩れたことに、なんだか勝ったような気持ちでナルトはにっこりと笑う。

「立派な理由だってばよ……好きな奴に会いたいって思うの、当然だろ?」

サスケはふい、と視線を落とすと表情を隠すようにまた紅茶のカップを口元に当てて、そうかよ、と呟いた。それは何でもなさそうな声音だったけれども、ナルトの瞳には、サスケが少し動揺しているようにも見えた。
こういう表情の変化を見ることができると、やはりサスケは根っこの部分は昔と変わっていないんじゃないかと思えて嬉しくなる。

昨日、縁側で真っ向からサスケに拒絶されて、ナルトは一日考えた。四年ぶりに再会したサスケ、その態度、自分の思い。サスケの言葉に胸を抉られて、己の浅はかさを嫌悪して、何をすればいいのかなんて分からなくて、けれどもいつまでも塞ぎこんでいてもどうしようもないと思った。
サスケの言葉は、あの隔たりは、まるっきりサスケの本心なのかもしれない。サスケは他人からの、特に数年間夏のあいだ遊んだだけの親戚の子どもからの愛情なんて、必要としていないのかもしれない。そんな自分がサスケにしてやれることなんて、いくら背伸びをしたって無いのかもしれない。けれどもここで諦めるわけにはいかないのだ。サスケは、ナルトの気持ちすら認めてくれてはくれなかった。振られたのならまだしも、この胸を焼く感情を丸ごと否定されて、このまま再びサスケに目の前からいなくなられたら、きっとナルトは一生後悔する。
いてもたってもいられなかった。夜にはもうクシナにサスケの宿泊先を聞いて(昔からサスケはクシナにだけはそういう報告をしたから、クシナだけは知っているだろうという確信が有った)、朝一番にサスケのホテルに向かっていた。

知らないままでも。子どものままと思われていても。それでもいい、と思えた。それならば今からでも知ればいいし、知ってもらえばいいのだ。最初から諦めていて何になるのだろう。

「気の迷いなんて、言わせねーってばよ」

にか、と笑って、ナルトは真っ直ぐにサスケの夜闇のような瞳を見つめる。幼い頃何度も焦がれた、その地球のすべてを詰め込んだような煌き。

「時間があったらこうやって、何度でも会いに来る。例えお前にとっては意味がなくたって、俺には大事なことなんだ。サスケのこと……好き、だから」

再びのナルトの直球な言葉に、サスケは面食らったようにわなわなと唇を震わせた。信じられないものを見るような見開かれた瞳、それがナルトの熱っぽい視線から逃れるように、ふいと反らされる。眉間に皺を寄せながら、その頬が少しだけ、赤い。
その色にナルトは一瞬ぽかんと見蕩れて、それから胸の奥から込み上げてくるような喜びに、愛しさに、思わず口元を緩めた。なんだ、と思った。なんだ。まったく届いてないわけじゃ、ないのかもしれない。頬を赤くしたサスケのその様子があまりに可愛らしくて、ナルトはくすりと小さな笑みを零す。

その笑みに気付いたのだろう。サスケはバッと顔を上げると、ナルトの表情から笑顔の理由を一瞬で悟ったのか、一気に顔を赤くして、ナルトとキッと睨みつけた。それから羞恥に赤らんだ顔のまま勢い良く立ち上がって、無理矢理にナルトを椅子から立たせる。帰れ、という言葉とともにドアに向かって背中を押されて、けれどもその声音は先程と違って少しも威圧感がなかった。
広くはない室内、すぐに背中が扉に付いて、ナルトは仕方なく笑ってサスケを見る。こんなふうに感情を露わに怒るサスケを見たのは初めてで、悲しいよりも嬉しかった。しかしそこで一層笑みを深くすればサスケの機嫌を更に損ねることは分かっていたから、ナルトは大人しく、分かった、帰るってばよと言った。
急ぐことはない。時間はまだまだたっぷりとあるのだ。焦りは禁物、とそう素直に思うことができた。昨日の硝子のような感情の読めない表情だけではない、サスケの見たことのない顔を見ることが出来たからか、気分は昨日までよりかなり余裕があった。ゆっくりとでいい、少しづつ距離を近づけることが出来ればそれでいいのだ。
サスケはげんなりとした様子で、よし、二度と来るなと背後の扉を顎でしゃくった。はいはいと肩を竦めて、ドアノブを捻り閑散とした廊下に出る。カツンと靴音が無人の廊下に響いて、狭い空間に反響した。
振り向けば扉を閉じようとしたサスケと再び目が合って、その意地っ張りのような表情に向かってナルトは真剣な声音で紡ぐ。

「また、来るからな」

ナルトの視線にサスケは少したじろぐ様に瞳を揺らして、何も言わずに扉を閉じた。



***



クーラーの効いたロビーから、太陽の照り付けるアスファルトへと一歩踏み出す。茹だるような熱。頬を撫でる風。真っ直ぐにナルトに降り注ぐ夏の日差しが愛しくて、ナルトはうんと伸びをした。じゅうじゅうと焼けそうな駐車場の眩しい白線。戯れにその上を辿るように歩いて、途切れたところで駐輪スペースに停めた自転車に向かって駆け出す。
焦らなくていい、ともう一度ナルトは刻み込むように思った。焦らなくていい。これから知ればいいし、知ってもらえばいい。四年の空白が何だっていうんだ。まったく届いていないわけじゃ、ないんだ。少しずつでいいから、こうやって、サスケの色々な表情を見ていたかった。

カレンダーの日付は、もうすぐ八月になろうとしていた。ナルトの夏は、まだ始まったばかりだ。





エターナルデイズ
(121014)