無理矢理うなじから視線を引き剥がして己の足首を見やると、包帯がこれ以上ないほど丁寧に巻かれ、しっかりと固定されている。慌てて、中途半端に宙を漂っていた右手を下ろす。気まずい心もちでいっぱいだった――いま自分はサスケに、何をしようとしていたのだろう。確かに女みてーにキレイな奴だが、いや、ないないない、それはねーよ。だって、サスケだぞ。あの、うちはサスケだぞ。
いつもなら勝手に口をついて出てくる喧嘩腰の言葉も、今はまったくといいほど浮かんではこない。それどころか申し訳なさで気分は妙に萎れてしまっている。悔しさも腹立たしさもとうに薄れていて、昼間どうしても言えなかった言葉を、今なら言える気がした。
「ありがと、な」
サスケは一瞬ぽかんと口を開いて、なんだよお前まともにお礼言えたのか、とでもいいたげな表情をした。それでもどこか悪戯げにフッと雰囲気を和らげて、小さく、ほんの小さくくちびるの端を持ちあげ、静かに静かに、微笑む。
「―――――――!!」
おまえ、バカ、反則だろう。その顔はどう考えても、反則だろう。
べつにサスケの笑った顔を初めて見たわけではなかったが、その破壊力は普段の比ではなかった。心臓にバズーカでも撃ち込まれたような心境だ。いつもツンツンと取り澄ましている口元がやさしく緩んで、まるで蕾がほんのわずか花ひらくような、少女めいた笑みだった。おまえは本当にあのうちはサスケか、と思わず問いただしたくなるほどに。
「……ッば、ばっかやろおおおぉぉぉぉぉぉ!!」
「はぁ?」
奇声とともにバッ、と勢いよく立ちあがって、ナルトはサスケを上から睨みつける。
いくら固定したとはいえ急に動いたせいで左足がズキリと痛んだけれども、もうそんなことはどうでもよかった。むしろ痛みなど忘れていた。
「俺ってば、あッ……あッ……ありがとーとかべつに思ってねーかんなアァァァ!」
サスケは、ますますわけがわからないといったふうに小首を傾げる。ナルトがどうしてこんなにも慌てているのか理解できない、二つの黒眸がそう語っていた。
いてもたってもいられなくなり、ナルトは回れ右をして桟橋の上を駆け出す。依然として左足はズキズキと痛んだが、やはりそんなことはどうでもよかった。いまはとにかく、真っ赤になった顔を隠してこの場所から離れることが最優先だった。
「あっおいてめ……せっかく包帯巻いてやったのに動かしてんじゃねーよ、ナルト!」
唐突に駆け出したナルトの背中を、サスケの声が追いかける。それでもナルトは振り返ることができなかった。ただただ真っ赤な夕日に向かって、走り続けるばかりだった。
悔しくて悔しくて、涙が出そうになった。
(――本当は、わかってんだ)
サスケがいくらエリート一族の御子息サマで成績優秀でアカデミーを主席で卒業して容姿端麗で女子にはモテモテで媚びへつらってくる周りの連中になどけっして迎合しない誇り高い性格をしている奴でも、嫌な奴などではないのだ、ということくらい。
サスケはうちはの生まれを驕りたかるようなことなど今まで一度たりともしたことがなかった。生まれもった才能に溺れずにひたすら修業を繰り返す、人知れず努力家な奴だった。女の子に人気なのだって、この風貌なら当然だ。妬むやつは少なからずいるけど、サスケのせいではない。本人は至って色恋に興味がないのだということを、ナルトは知っている。
それに――いつも態度が素っ気ないから、誤解を受けやすいけれども。
サスケは実は、優しいやつなのだ。自分から馴れあってくることはないが、仲間になった人間にはとことん甘い。ケンカばかりのチームメイトを命をはって庇ってしまうくらい、仲間想いの熱い奴だった。
今日だって、そうだ。サスケが河原に現れたのは、解散した方向からではなかった。第一サスケはナルトよりも先に帰っていたのだ。それにサスケは普段、包帯を持ち歩いてはいない。
恐らくサスケは、ナルトの異変にいち早く気付いていたのだろう。それでも妙に聡いところがある彼は、ナルトの気持ちを察してサクラとカカシの前では怪我のことを口にしなかった。そうしていま、偶然と気まぐれを装ってナルトを治療しに来たのだ。自分がもっと早く敵に気付いていればナルトは怪我をしないで済んだ、と、そんな的はずれな責任感をもって。そんなこと、微塵もこちらに気付かせようとはせずに。
(ばっかじゃねーの)
お前の気持ちなんかお見通しなんだよ。残念だったな、サスケちゃん。お前のさりげない優しさなんて、こちとらとっくに見抜いてるっての。
(何年お前のこと見ていると思ってんだよ――サスケ)
そういうところが、気に喰わないのだ。ちっとも仲間を頼りにしないうえに、あまつさえ守るべき対象だと思っていて。ちっとも優しくなんてさせてくれないくせに、自分は勝手に優しくして。そんなのずるいじゃねーかよ。
わかって、いた。
(気に喰わないのは、本当だけど)
いつも人のことをドベやらウスラトンカチやら馬鹿にして口が悪くて偉そうで怒りやすくて高飛車で箱入りおぼっちゃまで、それでも強くて熱いところがあって男らしくて美人で仲間想いの優しいアイツを。
――俺ってば、ぜんぜん好きなんかじゃねーんだけど。
――キライなわけでも、ねーんだ。
(嫌えねぇから、困ってるんだよ)
それならばこんなにも気になって気になって仕方なくて見ているだけで心臓に悪くて負けたくなくて守られたくなくてケンカでもいいからとにかく構いたくて自然と目で追ってしまう理由はなんなのだ、と叫びだしたくなる。
夕日に照らされた帰り道、吸いこんだ空気はあまずっぱくて、ハッカがとけだしたような清涼でツンとした味がした。
初恋ココット
(091115)
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