陽の当たらない縁側の上、ただ夏の匂いを孕んだ風だけが、ナルトとサスケの肌を静かに撫でた。

真っ直ぐに見据えた目線の先、サスケはふいとナルトから目を逸らして、静かにため息を零した。仕方なさそうなその態度は少しも、自分の後を追ってきたナルトを歓迎したようなものではなくて、ずくりと胸に痛みが走る。

「……悪かったよ」

しばらくの沈黙の後、意外にもあっさりとサスケはそう言って肩を竦めた。それは神妙そうにも、はたまた億劫そうにも聞こえて、サスケの真意がやはりナルトには分からなかった。
ただ静かに続きを待つ。

「お前はまだ、子供だったからな……言ってもどうしようもねぇし、言わなくてもいいかなって、そう、思っただけだ」

サスケの言葉に、ナルトは黙って唇を噛んだ。ずるい、と思った。こんなにもさらりと、まるでサスケにとっては本当に些細なことのように謝られては、憤りをどこに持っていっていいのかが分からないのだ。
もしかしたら、サスケはあえてそれを狙っているんじゃないかとさえ思った。こちらの我武者羅な態度に、大人の余裕を見せるように軽く受け流す。端から向き合うつもりなどないということを、ナルトに知らしめるように。
伯父と話している時から思っていたけれども、ひたすら無表情だったり、ふいに笑みを零したり、こうしてあっさりと謝ってみたり、今のサスケは掴みどころがなく化かされているような気分になるのだ。のらりくらりと本音を躱されている気がする。

「……確かに、俺は子供だったよ」

だからこそナルトは、負けじと真っ直ぐにその顔を見据えた。心のうちをすべて吐露するつもりで、言葉を続ける。
サスケはナルトから目を逸らして、その視線を無造作に中庭の草木に投げたまま動かさなかった。その伏せられた瞳は、いつかの消えてしまいそうな横顔をナルトに思い出させた。親戚中の視線を避けて、サスケによって造られた、見えない壁。どうにかしてこちらを向いてほしかった。あの漆黒の瞳を、もう一度、見たい。

「何も、なんにも知らなかった。サスケのことも、周りのことも、全然……けれども、サスケのこと、子供なりに、その……大事に、思ってた」

震える声で必死に紡いだ言葉に、けれどもサスケはやはり顔を上げなかった。依然として、その身を包むのは出会った頃の隔絶的な雰囲気だ。頑なに視線を上げないこれは多分、サスケの声に出さない拒絶なのだろう。何を言っても、聞くつもりはないと。
どうして、とナルトは思った。どうして、サスケはまた昔のように戻ってしまったんだろう。この屋敷の中で、自分にだけは笑顔を見せてくれたかつての青年。二人きりになればまた昔のように笑いかけてくれるのではないかと、ナルトは自惚れのように思っていた。自分だけは特別だ、と。やはりそれは、ただの思い上がりだったのだろうか。
まるでサスケと過ごしたあの輝かしい夏の日々をすべて、無かったことにされている気分だった。ナルトにとっては大事な、大事な、思い出を。
かつては目が合うたびに小さな微笑みを返してくれたサスケの横顔、いまは頑なに口元を緩めず、ただただ無関心そうに外の景色を見つめている。目元に影を落とす長い睫毛。整った鼻筋に、涼やかな眼差し。白い肌。その顔立ちは少しも変わっていない、かつて飽きもぜず見惚れていた横顔なのに、まるで別人のように思えるのだ。唇を噛み締める。

知りたかった。俺はサスケの中でどんな存在だったのか。どうして何も言わずに行ってしまったんだろう。今まで、海を隔てた遠い地で何をしていたのか。どうして、急に帰ってきたんだ。

お前は今、俺のことを、どう思っている?

固く拳を握り締めた。知りたかった。知って欲しかった。無かったことになんてされたくないのだ。ごくりと息を呑んで、震える喉を叱咤する。

「……お前のこと、好きだったんだ」

サスケが一瞬だけこちらに視線を向けたのが分かった。
真っ赤になった顔。隠すように俯いて、震える身体で言葉を続ける。二人の間を音もなく風が吹き抜けて、庭の草木をざわめかせた。

「初めて会った時から、ずっと……俺は、サスケのことが、好きだった。好きで好きで、会いたくて仕方なかった。サスケがいなくなってからも俺は、いつも、お前のことばかり考えてて……」

縁側に掛けられた風鈴の音も蝉の声も、どこか遠い世界のことのように感じた。ただ心臓の音だけが、耳元でうるさく鳴り響いている。サスケは無表情に庭の草木に視線をやって、何を言うでもなく静かにその景色を見つめていた。いったいどんな言葉を返されるのか、サスケの反応が恐ろしくて、けれどもナルトは顔を上げて真っ直ぐにその顔を見つめた。時を止めたような沈黙が二人の間に落ちる。
サスケはそのまましばらく口を噤んでいたが、ひとつため息を零し、ようやくぽつり、と呟いた。

「……そんなの、ガキのころの気の迷いだろ」

頭の中が真っ白になった。
縁側の静かな空間が、耳鳴りと共に一瞬で遠くなる。
いま、この男は何と言ったのだろう。ナルトの決死の告白に対して、こんな無関心そうな声音で、彼はいったい何と言った?
サスケの返事は拒絶でもましてや受容でもない、端からナルトの気持ちなど、本気にしてなどいないものだった。気持ちすら認めてくれないというのだろうか。握り締めた拳に、自然と力が籠もる。
気の迷いなんて、そんな言葉でこの想いを片付けられたくはないのに。

「ち、違うってばよ!俺は本気で、お前のことを…!」
「違わねーよ。お前が俺と会っていたのなんて、いくつの時の話だと思ってんだ。男相手に何を血迷っているのかは知らねーけど、お前のそれは間違いなく勘違いだよ……大方意味もなく年上に憧れるとか、そんなもんだろ」

憤りと悲しみがない交ぜに、胸のなって、胸の奥が熱くなる。大人になったと思っていた。サスケと少しは肩を並べられるようになったと思っていた。そうして気持ちを伝えたいと、ずっと思っていたのに。
サスケはナルトの気持ちなど、勘違いという言葉で片付けてしまえるのだ。結局自分はサスケにとっては未だに、何も知らない子どものままなのだろうか。

初めから実るとは思っていない。けれどもせめて、気持ちだけは知って欲しかった。
ここでこんなふうにムキになるのなんて、サスケからしたらやはり子どもに見えるのかも知れない。けれども気持ちごと否定されるくらいなら、いっそきっぱりと振られた方がましなのだ。あの夏の日を、サスケと過ごした日々を、感情を、他でもないサスケにすべて否定されている気分だった。

「そんなんじゃねーってばよ!俺は本気で、お前のことが好きだった!なんで初めから、勘違いだって決め付けるんだっての……!だいたい俺はあの頃だけじゃない、会えなくなってからもずっと、今だって、お前のことを……!」

感情のままにサスケに向かって声を荒げる。昂ぶったナルトの言葉は、すべてがサスケとの間を通り抜ける風に流されて空に溶けていく気がした。たった数メートルの距離が、どこまでも遠い。
サスケは小さくため息をつくと、まるで小さな子供に言い聞かせるようなやり方で、いいか、と言う。

「お前は、俺の何を知ってるわけ?」

返事に詰まって、ただサスケを見上げた。サスケは今度こそ真っ直ぐにナルトを見据えて、追い討ちをかけるように言葉を続ける。温度のない、声。

「お前は俺の何を知って、何を見ているんだ。会ったのはガキの頃の数年間、しかも夏の間の数日だけ。それから四年も会ってねぇのに、お前に俺の何が分かるの?……何を知って、好きだとか言えるわけ?」

ふん、とサスケが小さく鼻を鳴らした。
確かに、サスケの言う通りだった。ナルトはサスケのことなど、結局は何も知らないのだ。知らないままに、ただ焦がれていた。365日の中の、夏のたった数日間だけ。その程度の関わりで、他人の何を知れるというのだろう。ナルトの知っているサスケの姿なんて、あの消えてしまいそうな横顔、戸惑うような表情、それから幼い頃向けられた、慈愛に満ちた瞳、笑顔。全部ぜんぶかつての夏の記憶、たったそれだけだ。

けれども、とナルトは思った。理屈じゃないのだ。数年間のたった数日、それだけでもナルトは確かに、サスケを見てきた。いつもその背中を追って、その横顔を見つめていた。サスケというその存在に、まるで引力のように、どうしようもなく惹かれていた。
何があったって、それだけは真実なのだ。

「……確かに、俺はお前のこと何も知らねぇよ」

間違いなく、確信している。少なくともナルトの知っているサスケの姿に、あの輝かしかった夏の日のサスケの笑顔に、優しさに、偽りはないと。例えこの先サスケのどんな姿を知っても、この想いが揺らぐことはないのだ。
いつかの幼い日の夜、この縁側でサスケに言った言葉を思い出す。
――俺は、大人になったってサスケのことを。

真っ直ぐその黒硝子のような瞳を覗き込んで、きっぱりと言い放つ。

「それでも、俺の知っているサスケは、俺の大好きな、サスケだ……それだけはずっと、変わらない」

夏の匂いを運ぶ風がふたりの髪を静かに揺らした。どこまでも真摯なナルトの視線、サスケはまたふいと目を逸らして、呆れたようなため息とともに小さく首を振る。

「お前は思い出を美化しているだけだよ」
「……そんなこと、」
「あの頃も、今も――俺は、お前が思っているような立派な人間じゃない」
「っ、だから!」

あくまでナルトの気持ちから逃れたがるサスケに、思わず再び声を荒げていた。サスケは一体何に怯えているんだろう、と思った。まるで自分に好意を向けられることを、頑なに恐れるように。

「もっと、知りたいんだ、お前のこと。今の俺は、あの頃分からなかったことだってちゃんと、分かってるつもりだ。もう子どもじゃねェんだ――だから、俺は」
「十六なんて、まだまだガキだよ」

ナルトの言葉を低く遮って、サスケはそうきっぱりと言い放った。今までの躱すような声とはどこか違う、それは反論を許さないような絶対的な響きを持っていた。その瞳はどこまでも静かに、ナルトを射抜くように揺るぎなくて、その圧倒的な雰囲気に気圧されナルトは思わず口を噤む。

「お前が大人だと思ってた、十八の時の俺だって――ただの馬鹿な、子どもでしかなかった」

そのあまりに真に迫った声音になんだかサスケの本音を見た気がして、もはやナルトは何も言うことができなかった。
よくやくナルトが黙りこくったのを確認すると、サスケは猫のように目を眇めて、ふん、と小さく鼻を鳴らす。それから再びふいと顔を背けて、また静かに庭の木々を見つめていた。その横顔はやはり、幼い頃よく見た、無表情なはずなのにどこか淋しげに思えるそれで、胸が締めつけられるように苦しくなる。
ずっと、この横顔の理由を知りたかったのだ。今度こそ対等な存在として、向き合って。
四年歳を取った。今なら追いつける、と思っていた。ナルトが歳を取った分、サスケもまた同じだけの年月を重ねていたのは当たり前なのに。どうやったって、十年の歳の差は埋まらないのだ。そんな当たり前のことも、ナルトは気付けずにいたのだ。

いつまで経ってもサスケにとってナルトは、一回りも年下の子どもでしかないのだ。

「じゃあな」

サスケはくるりと踵を返すと、振り返りもせずに廊下を歩いて行った。引き止めることもできずに、ナルトはただ立ち尽くしてその背中を見つめる。後には静寂と、涼しく縁側を吹きすさぶ夏の風だけが残った。
ナルトはそのまましばらく、置き去りにされた子供のようにその場に立ち竦むことしかできなかった。廊下の端に消えたサスケの背中が、ただただ遠かった。四年という月日が、ナルトとサスケの間に重く、のしかかっていた。





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(120924)