ドアをスライドさせて、砂利の上に一歩足を踏み出す。クーラーの効いた車内から外の世界に降り立てば、からっとした熱気が肌をなぶって、降り注ぐ太陽が眩しかった。顔を照らす光を手で遮って目を眇める。涼しげな風が吹いて、前髪を、足元の草を静かに揺らした。八月初旬の暑さも盛りの朝。遠くの木々から蝉の鳴き声が聞こえてきた。
夏だ。
ナルトは毎年ここに来てようやく、その季節を実感する。

「ナルトー、荷物を運ぶの手伝いなさい!」

荷台を開けて、後ろから大きな旅行バックを引っ張り出したクシナがナルトを呼んだ。重みのあるそれをクシナの腕から受け取って、ひーひー言いながら玄関まで運ぶ。駐車場から玄関までのけして短くはない道程、頭上でギラギラと煌めく太陽は容赦なくナルトに熱を浴びせた。重たい荷物を抱えたナルトのうなじを、照り付ける日差しがジリジリと焼いていく。自分の小さい頃は父ちゃんがひとりでこれを全部運んでいたのだから偉大だ。ようやく玄関に下ろしたところで、ほら次!というクシナの鬼のような掛け声が掛かる。

日の当たらない、涼しげな玄関から再び太陽の下に出れば、青空が、緑が、眩いばかりの光に映えて美しかった。青空にくっきりと白い雲が流れていく。太陽が煌めく。顎の下を汗が伝って、無意識にナルトはそれを拭った。この屋敷の風景はもう見慣れている。毎年この季節は変わらない。けれども。

玄関先から見える縁側を、ちらりと一瞥する。光の当たらないそこは、人影もなく静かに佇んでいた。目を逸らす。数年前、自分がまだ小学生だった頃のあの夏。あれ以来、ナルトの夏には何かの色が足りない。大事な大事な、あの白い肌と黒の瞳。

あれからもう四年の月日が流れた。サスケがナルトの世界から消えて、以来ナルトは夏を心待ちにするのを止めた。ナルトは高校生になっていた。成長期を迎えて背は随分と伸び、顔付きも幼い頃と比べればかなり男らしくなった。背なんてもう、記憶の中のサスケとほとんど変わらないんじゃないかと思う。ナルトは確かに大人になった。曾祖母の家に遊びに来るのは毎年のこと、けれどももう、ここにサスケはいない。

中学生になって、ナルトはそれまで分からなかったことがようやく分かるようになった。この家でのサスケの立場、オメカケの意味、親戚たちの視線の理由。サスケはナルトの祖父と妾であったサスケの母との間にできた子供で、伯父やクシナとは腹違いの兄弟だった。だからサスケは、祖母や伯父、ひいては親戚逹に良く思われていなかったのだ。そんな簡単なことが、あの頃のナルトには分からなかった。それから名前を付け損ねた、幼い頃からずっとサスケに抱いていた感情の名前も。何も何も、ナルトは分かっていなかった。今思い返せば、昔の自分が随分と馬鹿らしく思えてくる。自分を突き動かす感情の名前も知らないまま、何も考えずに自分はサスケにぶつかっていたのだ。

サスケがどうして留学してしまったのか、いつ帰ってくるのか、ナルトは何度も知ろうとした。けれどもクシナは何も知らず、ましてや親戚逹になど尋ねることすら憚られた。そもそもこの家に、サスケの所在を知る者などいなかった。皆こぞって、唐突に消えたその存在を忘れようとしていた。
もともと心臓の悪かった曾祖母は四年前の冬に倒れて以来体調が思わしくなく、今ではほぼ寝たきりの状態が続いている。少しだけ耳にした話では、サスケは留学のことで、理由も話さずに金の工面だけを求めて、伯父、そして間に入っていた曾祖母と口論になったらしい。挙げ句に曾祖母に対し酷い言葉を吐いて、そのショックで曾祖母は倒れたそうだ。サスケがそんなことをするなんてナルトにはとても想像がつかなかったけれど、どうやらそれは紛れもない事実のようで、もはやこの家でサスケの名前は出さないのが暗黙の了解だった。

けれどもナルトは納得がいかなかった。サスケには言いたいことも聞きたいことも山程あった。どうして留学してしまったのか。どうして何も言ってはくれなかったのか。何年経っても鮮明に脳裏に甦る、あの黒い瞳、笑顔、ナルトを抱き締めた体温、耳元で囁かれた声音。忘れることなんてたぶん何十年かかってもできやしない。
サスケがいなくなった直後のナルトは、ただ黙って行ってしまったサスケを恨んで塞ぎこんでいるばかりだった。けれども時が経ち大人になるにつれてナルトの気持ちも少しずつ落ち着いていき、徐々に、サスケの気持ちを知りたいと強く思うようになった。何も知らずにただ傍にいることしかできなかった子供の自分を憎んで、だから次に会えた時は、少しでも力になりたいと思うのだ。

幼い頃のナルトはサスケの境遇など何も分からないままただ焦がれるままにぶつかっていく、本当にただの子供でしかなかった。そんな存在がサスケにとって、どう思われていたのかは分からない。けれども四年かかって、やっとナルトは気付いた。今なら、すべてを知った今なら、自分はもう少しうまくサスケと話せるのかもしれないとそう思うのだ。子供としてではない、一人の対等な大人として、サスケの話を聞きたかった。あの横顔の意味を知った今なら、分かってやれるかもしれない。ずっとずっと謎に包まれていた、サスケのことを。

言いたいことも聞きたいこともたくさんある。どうして黙って行ってしまったのだろう。自分の存在は少しもサスケにとって意味はなかったのか。あの日どうして嘘をついたんだろう。サスケ、お前はこの家を、いったいどう思っていたのか。
そうして伝えたかった。ずっとずっと俺はサスケに、恋をしていたって。

だから今はただ、サスケに会いたい。

荷台の後ろから最後の荷物を引っ張り出したクシナが、ナルトを手招く。駆け寄ってそれを受け取ろうとすれば、しかしそれはナルトの手に渡る前に、力なくクシナの手を滑って足元にボスンと落ちた。砂利が小さく跳ねる。何やってんだってばよ、と呆れながらクシナを見上げて、けれどもクシナの顔はナルトを見てはいなかった。ナルトの肩越しに、遥か後方を声もなく見つめていた。思わず振り返る。

屋敷の門の下に立つ人影を見とめて、ナルトは静かに息を呑んだ。瞬きすらも忘れて、凍りついたように立ち尽くすことしか出来なかった。目を見開いて、その忘れもしないシルエットを呆然と見つめる。時間が止まったかとそう思った。二人の間を隔てるように吹いた風が、足元の夏草をふわりと揺らす。

「――久しぶりだな、ナルト」

サスケが、そこにいた。





夏草の揺れた日
(120511)