ふいに言葉もなく立ち止まると、サスケが驚いたようにふり返る。
「ナルト?」
「……言えよ、サスケ」
低く掠れたナルトの声音に、ふるりとサスケの長い睫が震えた。
「言えよ。もっかい、俺のことどう思ってんのか、言え」
「……ナルト」
「ふざけんな。冗談じゃねぇよ、クソ。言えって」
思い通りにならない感情に苛立った、無茶苦茶なわがまま。こんなのはまるで子供だ。分かっていても言葉は止められなくて、ナルトはただ立ち尽くしたままのサスケに詰め寄る。
それまで頑なまでにポーカーフェイスを保っていた端正な顔が、まるで迷子になった子供のように情けなく歪んだ。
「……ナルト、頼むよ。忘れてくれ」
「サスケ、」
「いいんだ、気にすんな。お前はなにも悪くねぇ。俺が勝手に好きになっただけだし、もう、終わりにするから。お前は春からサクラと木の葉だろうが。こんなことにかまかけてねーで、頼むからもう、俺なんかのことは」
「――ッ」
気が付けばその薄い肩を掴んで、道脇のブロック塀に乱暴にサスケの身体を押し付けていた。
短く息を呑んだサスケが驚いたようにナルトを見上げる。慌ててナルトを突き放そうともがいてきた白い手首、それも掴んで無理矢理塀に押さえつけた。サスケの言葉に、なぜか腑が煮えくり返ってたまらなかった。
逃げ場を失ったサスケが、声にならない拒絶を孕んだ瞳でナルトを見上げる。深い闇のなかに光を湛えた、まるで宇宙のような瞳だった。ナルトはただ見つめ返すことしかできなかった。二人ともすっかり息があがってしまっている。火照った身体は、ともすればぴったりとくっついてしまいそうなほど。馬鹿みたいに近い距離だった。これまでのそれとはまったく意味の違う、距離だった。
「――ずるい、お前」
わななくように震えたサスケの唇が、張り詰めた空気を弾くように小さく呟いた。こぼれ落ちそうなほど見開かれた濡羽の瞳が音もなく揺れる。
「んで、覚えてたんだよ。いつもは忘れるくせに。なんにも覚えてねぇくせに。こんなことに限って、ちくしょ……クソ、」
ゆらゆら揺れる瞳は、気を抜けば泣いてしまうんじゃないのかと思った。それほど不安定な声音だった。それでもサスケは目を逸らさずに、否、逸らせずに、吸い込まれそうな大きな瞳でただひたすらにナルトを見上げる。薄い唇からこぼした悪態までもが、なんだか泣き声みたいだった。
「ずりぃのは……お前、だろ」
あんな、あんな瞬間を狙いやがって。人が酔っ払っている時に、忘れると知っててキスしやがって。
――お前それで本当に俺が忘れていたらどうするつもりだったんだよ、クソ。
忘れなかった理由なんて。こんなにも苛立つ理由なんて、そんなの。
(簡単なことだ)
あの唇の感触を、ナルトはもう二度と忘れたくなかったのだ。
震える唇に顔を寄せて、そのまま掬うようなキスをした。
サスケは一瞬びっくりしたみたいに目を見開いて、この世の終わりみたいな顔をして固まる。それから思い出したように身を捩って抵抗してきた。だけど離してやらない。必死にナルトを引き剥がそうと暴れる身体を押さえつけて、苦しげに吐息を漏らす唇を滅茶苦茶に蹂躙する。サスケの膝がガクンと笑って、後頭部がずるりとブロック塀を滑った。のけぞった白い喉がこくりと上下して、溢れそうになった唾液を懸命に飲み込む。二度目のキスは真冬の空の味がした。地球の味がした。
サスケはどこまでも諦めがいいから困る。わがままを言わないから困る。妙なところで自信過剰なくせに、自分の未来だとかしあわせになる権利だとかをこれっぽっちも信じちゃいない奴なのだ。
お前もっとわがままになれよ。欲しいなら欲しいって手を伸ばして言えよ。お前の気持ちはそんなものなのか。俺の返事も聞かないままあっさりと諦めてしまえるほど、お前の気持ちは軽いのかよ。違うだろ、クソ。欲しくて欲しくて仕方ないんだろ。
そうでなければナルトが困る。
今夜あんな笑顔でサスケに忘れろと囁かれて、ナルトは確かに傷ついたのだ。
――それがなぜだかなんて、あぁ、クソ。
(そんなのもう決まっている)
気付いてしまえば気付けなかったそれまでの日々が馬鹿らしかった。
まだ抵抗をやめない両腕を掴む指に、さらに力を込める。顔を傾けてより一層口付けを深くした。固いブロック塀に押し付けられた頭が可哀想だと思ったけれども、どうしてもやめたくなかった。こうなってしまった以上とても逃がすことなんてできない。焼け付くような思いに、頭のなかが真っ白になる。あぁ、こんな思いをするならばいっそのこと気付かなければよかった。苦しくて苦しくてたまらないのだ。
いくら求めたところでこいつは俺を置いて、春から他県の大学に行ってしまう。
本当は気付かないふりをしてきただけだった。ふとすればサスケを目で追ってしまうこの不可解な感情を、見えないふりをして無理矢理に押し殺してきただけだった。近くて遠いこの距離を、俺がどんな思いで泳いできたか。必死に目を逸らして逃げることが、一番簡単で無難で傷付かずに済んだのだ。結局は変わることを恐れて気持ちごと閉ざした臆病者だった。
いつまでも隣にいたいと願った幼い頃の夢だとか、逃げるように女の子からの誘いにはすべて乗ってそのくせサスケに彼女ができないことに密かに安堵してきたこととか。ギリギリで志望校を上げたのだって、少しでもサスケにつり合う人間になりたかったからなのだとか。
そんなの全部、お前は知らない。
あの日のキスに、思わず泣きそうになったことだって。
全部全部、お前は知らないのだ。
スターフィッシュ
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