しんしんと雪の降り積もる、寒い冬の夜だったという。
サスケは留学するに当たって、僅かばかりの金の工面を求めた。バイトをして貯めた金や奨学金を足しても、長期留学の費用にはやはり足りなかったのだ。
将来必ず返します、とサスケは言った。それでも義兄は頑として首を縦に振らなかった。今までこの家に置いてやっていたというのに、お前はこれ以上うちに負担を掛けようというのか。そう義兄はサスケを詰った。義兄からすれば、これ以上サスケのために金を出すのは許せないことだった。
義母はといえば何も言わなかった。彼女は端から、サスケと向き合うつもりなどなかったのだろう。常にサスケをいないもののように扱った彼女は、この時もただ眉をひそめ、ひたすら見ないふりをしていただけだった。
義兄に詰られ義母に目を背けられるサスケに、ただ曾祖母だけが、真っ直ぐにその視線を受け止めた。そうして、せめて理由を話しなさい、と言った。留学をしたいのは分かりました、それならせめて理由を話したらどうです。私たちは何も聞かされていないわ。それなのにお金だけを求めるのはおかしいでしょう。そうサスケを説得した。納得のいく理由なら私がお金を出します、とも。けれどもサスケは何も言おうとはしなかった。
サスケは曾祖母から目を逸らして、無言で立ち上がり居間を後にしようとした。曾祖母もまた立ち上がり、待ちなさい、とサスケの肩を掴む。
「逃げるのはお止めなさい。きちんと話しなさいな。何かしたいことがあるのなら、私が責任を持ってお金を出します。あなたは――この家の、子供なのだから」
しかし次の瞬間、サスケの肩に置かれた彼女の手は、サスケの手によって無言で振り払われた。
一瞬にして居間の空気が凍りつく。ハッと息を呑んで固まった曾祖母に背を向けて、サスケはぎゅっと両の拳を握りしめたまま振り向きもしなかった。覚悟を決めたように唇を噛み締めて、サスケは静かに、口を開く。
「……俺は、この家の子供だなんて一度も思ったことなどありません」
震えた声で紡がれた言葉に、曾祖母の顔からスッと血の気が引いた。お前、この恩知らずが!と義兄が怒鳴って、けれどもサスケはそれに対し何の言葉も返さなかった。ふるりと唇を震わせると――背中を向けたまま、けれども真っ直ぐに曾祖母に向けて、サスケは再び呟く。
「貴女のお節介はもう、うんざりだ――迷惑、です」
真っ白な顔で唇を噛み締めて、曾祖母は目眩を起こしたように力なく倒れた。おばあちゃん!と慌てて駆け寄った義兄が、その細い身体を受け止める。サスケは一瞬躊躇うように足を止めて、けれども結局、振り返ることはしなかった。真っ白になるまで拳を握りしめて、無言で再び歩みを進める。
そのままサスケは二度と屋敷に戻ることはなかった。それっきり、それっきりだ。
***
「何をしに来た」
居間に正座してサスケと向き合いながら、伯父は苦々しげに唸った。突如玄関先に現れたサスケは、驚きに固まっているナルトの横をあっさりと通りすぎて、ナルトたちの出迎えに出てきた伯父と鉢合わせをした。伯父はまるで幽霊でも見たような顔で固まって、それに対してサスケは何食わぬ顔でお久しぶりです、と場違いな笑みを溢した。
追い返すわけにもいかずに一応はサスケを居間に通すも、依然伯父の表情は固いままだった。当然だろう。曾祖母に酷い口を聞いて、そのまま渡米し長らく音信不通だった義弟が、唐突に屋敷に姿を表したのだ。伯父の目には、ありありとサスケに対する猜疑の色が浮かんでいた。
そんな伯父の疑念を知ってか知らずか、サスケは相変わらず何を考えているのか分からない静かな表情で、真っ直ぐ伯父の視線を受け止める。
「祖母に、会わせてください」
「……駄目だ」
即答だった。
サスケがそう言うことを、伯父はどこかで予測していたのかもしれない。今まで疎遠だった遠い親戚が、屋敷の当主の最期を感じ取って下心とともに見舞いに来るのは珍しいことではなかった。
伯父は苛立たしげにサスケを見つめると、馬鹿を言うなとばかりに首を振る。
「おばあちゃんの体調は今、あまり良くはない。お前などの顔を見たところで、ますます悪くするだけだ」
すげない伯父の答えに、しかしサスケは表情を変えることもない。傍から見ているナルトにも、サスケが何を考えているのかなんてさっぱり分からなかった。
サスケがこの家を出て行った日、彼が曾祖母に対して迷惑だと言ったというのは親戚たちの間でもっぱらの噂だった。真偽のほどは分からない、けれどもサスケの性格からして、彼がそう言ったのならそれは本心なのかもしれないとナルトは思っていた。しかしそれなら尚更、サスケがどうして今更曾祖母に会いたがるのか分からないのだ。
サスケは少し前に身を乗り出すと、意外なことを言う。
「……なら、俺が診ます」
「なに?」
「医者を、やっているんです。向こうで」
伯父はわずかに面食らったように目を見開いた。けれどすぐに眉を顰めて、疑わしげにサスケを見据える。ナルトもまた、サスケの魂胆が分からずに一瞬眉を顰めた。
伯父には思うところがあったのだろう、ため息をついて、静かに首を振る。
「その必要はない。お前みたいな青二才にどうにかできるとでも?……笑わせるな」
「……力になれるかは、分かりませんが、診るだけでも」
ふん、と伯父は鼻を鳴らした。
その瞳は何だか、お前の考えていることなどお見通しだ、とでも言いたげに光っていた。
「帰れ」
冷たく、その場の空気を一刀するような声で伯父は言い放つ。そこには、サスケに対する妥協など少しも見られることはなかった。
「お前は勝手にこの家を出ていった身だ。もう、屋敷の敷居を跨ごうとは思うな」
伯父の声音に、サスケもまた粘っても無駄だと感じたのだろう。静かに一礼をすると、立ち上がる。ナルトは不安な気持ちでその横顔を見つめた。隣を見るとクシナもまた、硬い表情でそのやりとりを見つめている。サスケはこちらを振り向くこともなく、真っ直ぐに扉へと向かっていった。
部屋を出ていこうとしたその背中に向かって、伯父が再び口を開く。
「……金か」
静かにサスケが振り返る。
「こんなおばあちゃんの体調は思わしくない時期に、今更ぬけぬけと戻ってきて、あまつさえ診察したい、か……恩でも売ろうというつもりかもしれんが、いいか、言っておく。お前は育ててもらった恩も忘れて自らこの家を出て行った身だ。お前が今更どうこうしたところで、この家の遺産はお前なんぞには絶対にやらん」
「…………」
「おかしな期待などするなよ」
そう言った伯父の目には、サスケに対する嫌悪や侮蔑がありありと浮かんでいた。
冷たい視線に晒されて、けれどもサスケは何も言うことはしなかった。否定の言葉も返さずに、やはり読めない顔で伯父を見返すと、再び礼をして、場違いにも笑みを返す。
「また、来ます」
***
居間を後にしたサスケを、慌ててナルトは追いかけた。
「サスケ!」
廊下を歩く背中を呼び止めると、ゆっくりとサスケが振り返る。懐かしいその横顔に、ナルトは胸がしめつけられる思いだった。風の吹き抜ける縁側の上。八年前、ナルトはこの場所で初めてサスケと話した。この場所で再びサスケと対峙して、ドクドクと鼓動が高鳴る。
サスケはまるで時でも止めたみたいに大学生の頃から少しも変わってはいなくて、成長期を迎えたナルトと背丈はほとんど同じだった。見上げてばかりだったサスケと初めて目線を並べて、自然と鼓動が早まる。あまりに唐突に訪れた再会の瞬間だった。何度も何度も夢見た、けれども実現するなんて少しも思っていなかったこの時。再び見据えた、この、黒の瞳。この瞳を前にすれば何から話していいのかすっかり分からなくて、ナルトはごくりと息を呑む。
サスケもまた静かにナルトを見つめると、何だよ、と言った。その声は昔のような優しさを滲ませた叔父としてのそれではなく、街角で偶然出会った他人のような、そういう一線を引いた固い響きをしていた。
なんだか初めて会った頃のサスケのようだ、と思った。まだまだ仲良くなんてなれなかった頃の、不思議で何を考えているのかよく分からない、そう、まるで宇宙人のような、サスケの姿。今のサスケはまるでその頃に戻ってしまったようだと思った。空白の四年間の間に、まるでナルトとサスケのふれあいすべてをなかったことにされたかのような。気後れして、握り締めた拳が震える。
いつまでも何も話そうとはしないナルトに、サスケは訝しげに首を傾げた。大きく深呼吸。うまい言葉なんて出てこなくて、ただ先程からずっと頭の中をぐるぐると回っている問い。それだけを考えて、唇を震わせる。蒼と黒が交錯する。
「……なんであの時、嘘ついたんだ」
サスケは静かに目を眇めた。
宇宙人、再び
(120911)
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