くたん、と寄りかかってくる身体は、酒臭いはずなのにどうしようもなくいい匂いがした。 それはシャンプーみたいな人工的な香りじゃなくて、例えるなら花の蜜のような、いつまでも嗅いでいたくなる蠱惑的な甘さだ。一度その感覚を誰かと共感したくてシカマルに話したら、どうしようもないものを見るような目をされていいから働けと言われたことがある。どうやらこの匂いを感じることができるのはナルトだけであるらしい。それはそれでいい。こんな甘ったるい匂いに酔いそうになる人間なんて、ナルトだけで十分なのだ。 (――いい、ん、だけど) 「ナル、トぉ」 「……なんだってばよ」 「ふふ、なると」 あぁ困ったなーこれどうしよう、と思う。 横目でちらりと周りの様子を窺ったら、皆あからさまに目を逸らしていた。たまに視線が泳いでいる奴もいるからまるっきり視界に入っていないわけではないのだろう。薄情者め。心の中で呟いて、ナルトは先ほどからしなだれかかってくる薄い身体、その乱れっぷりに小さくため息をこぼす。肩のあたりにもたれかかってくる黒髪をあやすようにくしゃくしゃと掻き撫でた。 任務帰りだ。打ち上げだ。それはいい――だがこの状況は大変に困る。 二杯目を空にしたあたりであ、ヤバい、とは思った。 それでも止められなかったのはちょっとずつ染まっていくサスケの目尻が妙に色っぽかったからだろう。そういう自分の不甲斐なさが情けなくなる。だんだんと目が据わってくるのをどうすることもできず、いまやサスケは完全な酔っぱらいだ。呂律の回っていない声でしきりにナルトの名前を呼ぶ。返事してもふにゃふにゃと笑うだけだから相手にしたってまったく意味がない。ぴったりと触れあった身体は酒のせいで火照っていた。目尻だとか耳だとか服の隙間から覗く肌がやけに赤い。すりすりとナルトの二の腕にほっぺたを寄せて、意味不明の笑いを漏らす弛んだ口許はずいぶんと気持ちよさそーだ。 「なる、ぅ」 「はいはい、だからなんだっての」 「ん。……てぇ、きもちー…」 ――あぁこれ、ほんとどうすんだ。 誰かこの酔っ払いをなんとかしてくれ。ナルトの切実かつささやかな願いはしかし叶うことはない。 こんなのは別にいつものことだ。こいつは酒が入るともう誰だっていうくらい豹変して、普段はまったく可愛いげのない態度でくだらない口論を繰り返してばかりのナルトにこんなふうに甘えてくるのだ。ついでに寄りかかったりだとか頭を撫でてもらったりだとか、そういうスキンシップが大好きになる。いつものことだけど、いつまでたっても慣れない。普段のツンツンツンツンした姿とは大違いだ。どんなギャップだよ、って叫び出したくなる。 それでもサスケが喜ぶからってこうして甲斐甲斐しく頭を撫でてやる俺は、やっぱりどうしようもないんだろう。とりあえずキモチイーとかそういういかがわしいセリフを呟くのはやめてほしいなぁ、と心の中で呟く。 「あー、あちぃ」 「……脱ぐなよ」 「うん」 ぬがねーよー、とへらへら笑うこいつはしかし前科持ちだ。目を離せば暑い暑いと言って襟に手を掛け始めるからたまったもんじゃない。この前はこの馬鹿みたいに白い肌が肩のあたりまではだけて大変だった。あの時は確か真っ赤になって目を逸らした後輩の中忍にたいへん同情した気がする。いや、そんなことはどうでもいい。 もうこの超クールなエリート上忍の酔っ払った姿は木の葉の上忍たちの間では有名で、(素面のサスケが鬼の如き勢いでキレるからあくまで陰での話だ)、同期や上忍ともなればいい加減スルーすることを覚えている。最初こそあのうちはサスケの豹変っぷりにみんな驚愕し、なにより普段から喧嘩の耐えないナルト相手に異常になつく姿に唖然としたけれども(正直ナルトもびっくりした)、いまやサスケがナルトから離れないのをいいことに世話を押し付けて見て見ぬふりだ。 本音を言うとそれは別に構わない。こんな状態のサスケを誰かに渡すくらいなら、例えいくら心臓に悪くたって傍にいた方がマシだ。でもだからって、ここまであからさまに目を逸らすのはひどいんじゃないかと思う。ナルトだって非常に困っているのだ。 相変わらず他の忍たちは頑なに目を逸らし続ける。あさっての方向を向いて口を止めたら負けだとでもいうふうに会話に集中したふりをしているから、かえって不自然だ。それはたぶん酔ったサスケを見たくないからではない。顔が赤い奴もちらほらと混じっているから、見たら困るのは自分だと分かっているのだろう。正直酔っているときのこいつの破壊力は半端じゃない。いつも張りつめている表情はふにゃりと弛むし、肌はほんのりピンクに染まって大変目に毒なのだ。 (……困る、よなぁ) なにげなく店内をぐるりと見渡したら、ポカンと口を開いたまま間抜けに固まっている新米上忍と目が合った。信じられないものを見るような目をしている。あぁ、そりゃそうだよなぁ。あのうちはサスケが、まさか酒が入るとこんなになるだなんて思いもしないだろう。サスケに憧れている下忍中忍その他諸々、そのことをちゃんと分かっているんだろうか。 石像のように固まったまま目を逸らせないでいる新米のその頬が僅かに赤くなっているのに気付いて、ナルトは思わず視線を鋭くした。我に返ったそいつは慌てたように目を逸らして、気まずそうに咳払いをする。なんだよ俺のだぞ、見てんじゃねーよ。思って、いやどっちだよ、と自分にツッコミをいれた。見られたら見られたでそれは面白くないのだ。 隣を見下ろしたら問題の酔っ払いはなんの悩みもないような顔をしてふにゃふにゃ笑っていて、なんだか一気に疲れが増した。クソ、人の気も知らねーで。小さくため息をつく。少し緩んだ上忍服の隙間から覗いたうなじが白かった。上気するように色づいた唇、ピンクに染まった頬。ちらりと見えた鎖骨がどうしようもなくエロい。濡羽の髪は相変わらず最高の手触りだし、やっぱり脳の奥を蕩けさせるようないい匂いがした。 ――あぁ、困る困る困る困る。 喧嘩するほど仲がいいってのはまさにお前らのためにあるような言葉だよなー。以前酒の席でそうのたまったのは先輩の上忍だ。その時は誤魔化すように曖昧に笑ったけれども、シカマルあたりが微妙な顔をしていたからもしかしたら気付かれているのかもしれない。ナルトの、本音なんて。 視界の端にまっかな唇がちらつく。なんの前触れもなく、あぁキスしてぇな、と思った。この唇に吸い付いて、舌を入れて好きなように蹂躙したらサスケは一体どんな反応を返すのだろう。それでも必死に理性を働かせて、誤魔化すように酒を飲み続ける。なんでもいいから自分の唇を塞いでいなきゃなにをするかわからなかった。迷惑そうなふうを装って眉をひそめているけど、たぶんナルトの頬だって赤いのだ。恥ずかしくなる。 なぁ。お前、なんで俺ばっかにこんな甘えてくんだよ。 聞きたくても聞けずにいるその言葉は結局胸の奥に仕舞われたままだ。普段の態度といまの態度、いったいどっちが本物のサスケなのか。そりゃどっちも本物だろうけどもこんな姿を見ていたら普段のあれだって照れ隠しなんじゃないかと思いたくなる。 なぁ、俺は自惚れているかな。お前は古くからの友人に気を許しているだけ?それとも期待していいのか。いますぐ抱きしめてキスしてぇよ。その先のもっとすごいことだってシたいしなにより好きだばかやろうって言ってやりたい。あぁ、シてぇよシてぇよシてぇよ。ふざけんな、くっつくなクソ。我慢をするのがどれだけ大変だと思っているんだ。 このままでは今夜はまたサスケは俺の家にお泊まりコースだろう。ぐでんぐでんに酔っ払ったサスケを放っておくのはあまりに危険だし、担いでサスケの家まで送るよりは自分のアパートに泊めてしまった方が楽なのだ。たいして広くもないベッドにサスケを寝かせて自分はソファで横になって、聞こえてくる寝息に必死に耳を塞ぎながら眠気が訪れるのをひたすら待つのだろう。あぁきっと今夜も寝不足は必至だ。 朝になったらサスケはまた布団のなかで頭を抱えて、気分はどう?なんて甲斐甲斐しく聞いてやるナルトを八つ当たりのようにぶん殴るのだ。何をしたかは覚えていなくても、翌日の周りの反応から自分の酒癖は自覚しているらしい。理不尽かつ膨大な怒りが込められたそれは死ぬほど痛いけれども、羞恥にわずかに涙目になったその表情はとにかくかわいいからまぁそれも悪くないのだ。 とか思ってしまう自分も大概末期だ。 RUN!RUN!RUN!
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