それは未来の火影ことうずまきナルトが、まだ乳臭い下忍だったころの話だ。 辺り一面に広がる、真っ暗闇の世界。天も地も区別が付かないような不思議な空間。その中に呆然と佇んで、目の前の光景を理解しきれずに、ナルトは固まった。 ――これは、なんだ。 そして考えた。必死に考えた。自分でもあまり良くはないと自覚している頭を捻って捻って捻りまくって、捻りすぎて中身が飛び出してしまうんじゃないかっていうくらい考えた。それでもどれだけ考えたって、わからないものはわからないのだ。いくら頑張ろうが、人間には限界というものがある。ナルトにもまた然り。ただでさえ他の子供よりも無知である自覚はあるのだ、少ない知識の中からいくら答えを導きだそうとしたところで、所詮無理な話であった。 それならばどうするか。聞くまでだ、本人に。 『さっ、さすけ……?』 『なんだウスラトンカチ』 勇気を振り絞って声を上げたのに、サスケはいつも通りの口調であっさりと返しただけだった。まったくいつも通りであるのだということが、現在の状況下ではかえって恐ろしい。なんだよこいつ。なんでこんなに、平然としていられるんだよ。 ナルトはといえば怯みまくっていた。サスケの至って平気そうな様子にも、ナルトの恐怖の根源であるサスケの隣に立っている不可解な生き物にも、ビビってビビってビビりまくっていた。知らず知らずのうちに、唇が震える。膝が笑い、思わず回れ右をして逃げ出したくなる。それでもなんとか持ちこたえたのは、自分がいま逃げ出してしまったら目の前のこのいけすかない少年が危険に晒されるかもしれないと、そう思ったからだ。いくら気にくわない野郎とはいえ、一応は仲間である。それになんだか最近は、この少年のことが気になって気になって仕方なかったりするナルトなのだ。そんな相手を、こんな危険な所にみすみす置き去りにするわけにはいかなかった。 ナルトはありったけの勇気を振り絞り、声を張り上げる。 『そ、それ、なんだってばよ…!』 なに、というよりもしかしたら、だれ、と問うべきだったのかもしれない。 サスケの隣に立っていたのは、赤くて丸くて、まるでトマトのような物体だった。否、むしろトマトそのものだ。だがしかし、それがごく普通のトマトであるわけがない。普通のトマトは人間より大きくなんかないし、そして何より手足なんかが生えているわけがないのだ。 全長二メートルはゆうに越えていると思われるだろう奇妙な赤い物体、その胴体部分と思しき超巨大トマトからは、二本の手脚がにょきりと生えていた。そしてあろうことかその片腕が、サスケの少し力を加えれば砕けてしまいそうな頼り気のない肩に回されていたのだ。 ナルトは我を忘れて叫び出しそうになった。目の前の奇妙な二人組に、怒鳴ってやりたくてたまらなかった。そいつに触るんじゃねーってば、サスケあぶねーぞ、逃げろ!しかしそれを出来なかったのは、当のサスケが無頓着にもトマトの腕を受け入れているかのように見えたからだ。サスケが怯えているわけでもないのにナルトが怖がっていることがバレてしまうのは、サスケに対するプライドが許さなかった。実のところはビビりすぎて声を出すことすら出来なかったのだというのは、誰にも内緒なここだけの話だ。 『あぁ、こいつか』 サスケはちらりとトマト星人を一瞥すると、恥じらうようにポッと頬を染めた。まるで恋する少女のような可憐さだった。あぁやべぇやっぱりこいつかわいいな、とナルトまで思わず頬を赤くする。仕方ない。気にくわなくたってかわいいものはかわいいのだ、なんか文句あっか。 サスケの不可解な反応に疑問を抱くこともせずに、真っ赤になってついつい見とれてしまった、次の瞬間。 サスケの爆弾発言に、ナルトは赤から青に一気に顔色を変えた。 『こいつは俺の婚約者だ』 『……………え……?』 『俺、こいつとめおとになるから』 『え、ええええええええええええッ』 ナルトはひたすら目を白黒させた。全身からぶわっ、と嫌な汗が噴き出る。なんだめおとって、めおとってなんだ。いや意味は分かる。分かるけれどなんでその得体の知れないトマトとサスケがめおとになるんだ。てかその場合どっちが妻なんだ。サスケの倍はあるそのでかいトマトがやはり夫か、いやサスケは男だからいくらでかいとはいえトマトが妻なのかむしろトマトに性別ってあるのかどうなんだ。ヤバい、混乱してきた。誰か助けてくれってばよ、ヘールプ!!! 『俺……こいつを支えてやれるような、いい妻になるから』 『サスケェェェェェェェェェェェェ!!!』 そんな決意表明しなくていーってばよ!てかお前男だろーが、妻ってなんなんだサスケェェェェェェェ! つっこみどころはたくさんあるものの、ナルトはただただサスケの名前を叫ぶことしかできなかった。テンパりまくってそれどころではない。もはや脳みその許容量が限界だ。そうこうしている間にもサスケはすり、と巨大トマトに擦り寄ると、恥じらうように頬を染め、恍惚とした表情で、うっとり、呟く。 『こいつとふたりで……うちはを再興するんだ』 お前そのトマトとナニするつもりだあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! ナルトはあまりの展開に泣き出したくなった。ひどい。ひどすぎる。こんなのはあんまりだ。俺には触らしてもくれねーくせに、そんなわけのわからねートマトには簡単に触らせんののかよ。肩抱かれて自分から擦り寄んのかよ。そこまで許しちまうのかよ。そんなのあんまりだってば、サスケ。 だって俺、普段はいがみ合ってばかりでぜったい口にしねーけど、ほんとはほんとは、お前のことが。 真っ青になって拳を握り締めぶるぶると震えるナルトにやっと気づいたらしく、サスケはムッと眉をしかめる。 『なんだよ……なんか文句、あんのか?』 『おっ、大ありだってばよ、サスケェ!お前、なんでそんな得体の知れねーやつとケッコンするんだよ!』 『あ?そんなのお前になんの関係がある。人の恋路にいちいち首つっこむんじゃねぇよ』 『こ、恋路って……おまえ、ホンキでそのトマトのこと愛しちゃってんのかぁっ!?』 『婚約するんだ、当たり前だろうが。俺はこの身を一生こいつに任せる』 『そ、そんな……っ』 『さっきからうるせーな、ナルト。言っておくがなぁ……お前がなに言おうと、こいつは渡さねぇぞ』 『だれがんな変なやつ欲しがるかってばっ!……そうじゃなくて、サスケッ!おっ、俺は、お前のことが……!』 『あ?』 『……すっ……すっ……』 『…………』 『すっ……好きなわけあるかこんちくしょおおおおぉぉぉぉ!!!』 こんなとき、自分の不器用さが死ぬほど恨めしくなる。 サスケはふんと鼻を鳴らして、しなやかな腕を妖艶な動きでトマト星人に絡めながら、ますます見下すように口の端を歪めた。 『俺だっててめぇのことなんか嫌いだよウスラトンカチ。こいつはなぁ、すげぇ強くて、俺のことを守ってくれるんだぜ』 『そっ、そんくらい、俺にだってできるってば!』 『あぁ?寝ぼけてんのかてめぇ。せいぜい俺にかばわれてばかりのドベがなに言ってんだよ』 『なっ……』 『お前なんか弱ぇしチビだし、なんの役にも立たねえじゃねぇか、頼りねぇ』 『サ、サスケ……っ!』 『じゃあな、俺は行くぜ。こいつとの幸せな未来、邪魔すんじゃねーぞ』 『あ、ま、待てよッ、おい……!』 『子供が産まれたら、お前に抱かせてやらないこともない。それまでせいぜい頑張れよ、ウスラトンカチ』 サスケは再びフッと笑うと、トマトと共に踵を返しナルトに背を向けて歩き出した。慌てて名前を読んでも振り向きもしない。ただトマトと腕を組んで、楽しげに笑いながら去っていくばかりだ。ナルトはとさり、膝から崩れ落ちた。遥か遠くから、子供は三人ほしいな、というサスケのしあわせそうな笑い声が聞こえた。 「サスケエエエエエエエエエェェェェェェェェェェェェェ!!!」 目を覚ましベッドから飛び起きた時、ここがどこであるとか今何時であるとか、そういうことはまったくナルトの頭の中になかった。たった今見たものが夢であるとか現実であるとか、そういったことも一切頭になかった。ただただつい先程見た恐ろしい光景が忘れられずに、ナルトは自分の安アパートを飛び出していた。 カンカンと階段を駆け降り、外灯が朧気に照らす道を必死に走り抜ける。真夜中の街を突っ走り、里の外れにあるうちはの集落に駆け込む。そうしてサスケの家の前までひた走って、午前二時、ナルトはどんどんと玄関の扉を叩いた。もう子供はとっくに寝ている時間であるとかいくらなんでも迷惑極まりない行為であるとか、そんなこともやはりナルトの頭にはなかった。 しばらくの後、苛立たしげなサスケの声と共に、ガラリ、玄関の扉が開く。 「ナルト、てめぇ―――こんな夜中に起こしやがって、一体なんの用が」 「サスケぇっ!!」 サスケがすべて言い終える前に、ナルトはその薄い身体に飛びかかった。後先考えずに玄関先にサスケを押し倒す。その両脇に手を付いて、四つん這いの姿勢でのしかかる。床に強かに後頭部を打ちつけたサスケは、痛そうに呻き声を漏らした。でもそんなのはこの際お構いなしだ。 「痛ッ……てめぇナルト、なにす」 「お前っ!あんなトマトのどこがいーんだよぉっ!」 サスケは涙目になった黒硝子の瞳を驚いたように見開いて、ぽかんとした表情でナルトを見上げた。 「……なんの、話だ」 「あんなのあんまりだってばよ、サスケェ!俺だってそりゃいまは弱ぇしチビだけど、いつまでもそのまんまじゃねーもん!いっ、いつかお前だって、軽々抜くんだからなぁ……っ!」 「……ナルト?」 「お前がそんなにうちは復興させてぇんなら俺いくらでも頑張るし、子供三人とか、ぜんぜんよゆーだしっ!」 「…………寝ぼけてんのか、てめぇ」 「寝ぼけてねーもん!あ、あんなトマトなんかより、俺のほうがお前のことすっ…すっ…好きなわけねーわけじゃねーし……っ!」 「……………」 「俺だって……俺だってしあわせにしてやれるんだからな!サスケのばかあぁぁぁぁぁぁ!」 深夜の二時に同僚にいきなり叩き起こされ玄関先に押し倒された挙げ句わけのわからない泣きつかれ方をされたサスケは、結局はナルトが寝ぼけているのだと判断したらしい。仕方なさそうにため息をつくと、サスケは存外に優しい手つきで己にのしかかり胸元に顔をうずめ泣きじゃくってくるナルトの金髪を撫でる。 「もういい……わかったからもう、泣くな」 それからナルトはサスケに手を引かれ、ぐずぐずと鼻を鳴らしながら大人しく寝室まで付いていき、その日は同じベッドでくっつきあうようにして眠った。たぶんサスケも相当眠くて、そこからまたナルトの相手をし家に帰らすのは面倒だったのだろうと思う。 そんなサスケの横着のせいで、次の日の朝、ナルトは目を覚ました瞬間にサスケの稚い寝顔を拝むことになり、真っ赤になって悲鳴を上げることになる。それによって起き出したサスケになんで俺がお前なんかと一緒に寝てるんだってばよと理不尽な文句をつけ、朝っぱらから激しい口論になったのだった。 トマト星人なんかに連れて行かれずに翌朝サスケが隣にいたことに、ナルトは心の中でこっそり安堵していた。というのは内緒の内緒、だ。 *** 「っていうこと、そういやあったよなぁ……」 子供時代のこっぱずかしい夢を思い出して、ナルトはふぅとため息をついた。 まだ自分がひよっこの下忍だった頃の話だ。いつまでたっても素直になれない、大切な気持ちすら伝えることもできない、そんな不器用な子供だった。弱くてチビで、守りたい奴に守られてばかりの子供だった。 それにしても今思い出してみれば、なんとも情けない話だ。あんなおかしな夢を見た挙げ句に夢と現実がごっちゃになって、真夜中サスケに泣きついたという辺りが、特に。 「……あ?なんかいったか?」 「いや、なんでもねーよ」 枕並べて横になったセミダブルのベッド、裸の肩越しに振り返ったサスケが、真っ赤になった目元でこちらを見やる。その声はさんざん啼き疲れたせいか少し掠れており、それがなんとも言えずに色っぽかった。その目尻に小さく唇を落とすと、わずかに頬を染めて照れたように目を逸らす。その初心な様子がまた堪らない。 ――ざまあみろトマト星人。 俺ってばあのうちはサスケとピロートークができるくらい、立派な男になりました。 今ではナルトはサスケにだって認めてもらえるほどの有秀な忍、里の誰もが一目置く将来有望な火影候補だ。背だっていつのまにかナルトのほうが数センチ程度高くなったし、甘い言葉だっていくらでも吐ける。なによりサスケを守ってやれる男になった。子供三人は生物学上さすがに無理だったが、でもお前ってばいま充分しあわせだろ、と思う。 相変わらず素直じゃない奴だけどたまに吐かれる暴言は照れ隠し、それだってサスケなりの愛の証だ。だからもう、あんなトマトなんか比べものにならないほどいい男になったと、自信を持っていいはずだ。 そうだろう?サスケ。 ナルト、と呼ばれたのに、とびっきり甘い声が出る。 「なんだよ、サスケ」 「トマトが食いたい」 「………」 「のど、かわいたんだ」 「……のどかわいてトマト食いたがる奴、はじめてみたってば」 「うるせぇよ。いいから持ってこい、今すぐだ」 「サスケ……」 「あ?」 「お前、俺とトマトどっちが好き?」 「トマトだな」 そ、即答かよ……! あんなトマトなんか比べものにならないほどいい男になったと、自信を持っていいはずだ。たぶん。きっと。いや、おそらく。 (たのむから照れ隠しだって言えよぉぉぉ!) 世界はすべて君のため
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(091129) |