「火影様!!」 「あ、火影様だ!!」 今日も、街を歩けば下校途中であるアカデミー生たちの熱い声が飛び交う。羨望の眼差しでナルトに向かってぶんぶん手を振ってくる子どもたちに、にこやかに声を掛けてくる出店のおばちゃん。おまけに道端からは、遠巻きに見つめてくる女の子たちの熱い視線を感じた。 ナルトはそれらのすべてに笑顔で手を振って、爽やかに挨拶を返す。自分で言うのもなんだが、完璧な笑顔だ。心象はバッチリ。こうやって注目されるのはちょっと照れくさいけれど、けして悪い気はしない。いやー俺ってばモテモテで困っちゃうな、なんてヘラヘラ笑って、サクラちゃんに調子に乗るなと頭を叩かれるのはいつものことだ。 けれどもうん、少しくらい調子に乗ったっていいだろう。里を救った英雄にして、史上最年少の火影。強く優しくかっこいい、なおかつ親しみやすいというのが、現火影、うずまきナルトに対する里の人々の評価だ。 ちょっと誇張されてるなーと思う部分はあるけれども、まぁそれは否定などせずにありがたく受け止めておく。それが里の人々が期待する火影のあるべき姿だと思えば、ナルトがそれに見合う男になれるように精進すればいいだけの話だ。憎悪や反感の視線に慣れきっていた子ども時代に比べたら、今の羨望に満ちた眼差しや称賛の声なんて夢みたいな話だった。 六代目火影として就任して、早二年。退屈なデスクワークを離れてこうしてふらりと街に出かけるのは、火影になってからというものよくあることだった。あっ火影様またおサボりだ、とアカデミー生らしき女の子に声を掛けられて、おう、内緒だってばよ、と笑顔を返す(サクラに言わせれば、それで許されるのがアンタの憎めないところ、らしい)。 実はこうしてよく仕事を抜け出し外に出かけるのはナルトなりに理由があるのだけれども、サクラや鬼のように恐ろしい補佐からはいつも、仕事から逃げただけだと片付けられキツいお説教を受ける。 そう、サボりはサボりでも、働きたくないわけじゃない。もっと重大な理由があるのだ。 里を救った英雄にして、史上最年少の火影。強くて優しくてかっこいい、なおかつ親しみやすい。そんなパーフェクトな存在の俺、うずまきナルトには、ひとつだけ最大最悪の弱点がある。 店先のおばちゃんに、持っておいき、と渡されたみたらし団子を頬張って、ふらふらと通りを歩く。遠くから声を掛けてくる子どもにひらひら手を振りながら、さて次はどこに行こうかと、思案していた、その時。 「……ナルト」 咎めるような、少し呆れたような、ため息交じりに自分を呼んだその声音に、ナルトの心臓は一気に跳ね上がった。 ――来た。 鼓動は高鳴ったまま、緊張にぴんと背筋が伸びる。まるで戦闘前のように五感が澄み切って、肌がざわりと粟立つ。今のナルトをここまで緊迫した状態にすることができるのは、木の葉広しといえども、いや忍世界のどこを探しても、この男くらいのものだろう。 やって来たなこの最終兵器、今日こそ俺は絶対にお前なんかには負けねーぞ絶対に、絶対にだ。そんな決死の覚悟を決めて、ナルトはゆっくりと振り返る。 そこには丸めた書類で肩を叩きながら、呆れ顔でナルトを見つめる補佐、うちはサスケがいた。その憮然とした表情が視界に入って、ドクン、とまた心臓が緊張に高鳴る。 サスケは眉間に皺を寄せたまま、ずずいとナルトに顔を寄せると、お前なぁ、と口を開いた。 「いい加減にしろよ、火影サマ。仕事を抜け出すなって、何度言わせれば気が済むんだ」 「あ、いや、あはは……」 「その度に連れ戻すこっちの身にもなれよ、ったく」 街中俺を探し回ったのであろう、サスケは疲れた様子で前髪をかきあげて、その仕草にまたナルトの心臓は嫌な音を立てた。黒髪の隙間から露わになったまっしろな額が眩しい。ちくしょう、毎度毎度反則だ、この男は。 「おい、さっさと火影邸に戻るぞ。お前の印が必要な書類が山積みだ」 ナルトの葛藤などお構いなしに、サスケはそう言い放つがいなや早急に踵を返そうとする。 「え、いや、もうちょっとだけ休憩」 「つべこべ言うな。お前、ガキじゃあるまいし少しは自分の立場を考えろよな。仕事から逃げるな働けこのウスラトンカチ」 耳の痛くなるようなサスケの説教に、ナルトはただ苦笑いを返す。いや、実は逃げたのは仕事からじゃないんだ―とは、もちろん言えなかった。 「ほら、行くぞ」 サスケの手がスっと伸びて、ナルトの手首を掴む。その白く細い指が自分の(サスケに比べれば)がっちりとした腕に触れる様を見た瞬間、ナルトの頭には一気に血が上っていた。思わず振り払う。 「わ、わっ!!」 予想だにしなかったその過剰な反応に、サスケはぽかんと口を開いてナルトを見つめた。 「……なんだよ」 「っあ、あ、わりぃ! ……てか、そんな引っ張らなくてもいいってばよ! もう、逃げねーから」 挙動不審になりながらも、何とかそう言い訳をしてナルトはサスケより先に火影邸に向かって歩み始める。またサスケに腕を掴まれるのは御免だった。サスケは怪訝そうに眉を顰めて、それでもそれ以上ナルトを問い詰めることはしなかった。背後から、少し離れて付いてくる気配がする。 ナルトは静かに、サスケの指先が触れた手首を見つめた。低めの体温とその感触を思い出して、心臓は大きく高鳴ったままだった。きっと今の自分の顔は、耳まで赤いのかもしれない。ぽり、とこめかみを掻く。 (あー、またやっちまった) そう、俺、うずまきナルトには、最大の弱点がある。 かつてのフォーマンセルの仲間にして元抜け忍、現火影補佐のうちはサスケに、ナルトは滅法弱かった。 * * * 「――もうこれで何度目かしら、ナルト」 火影邸に戻ったナルトを待ち構えていたのは、隠しきれない怒気、いや殺気を孕んだ、凍りつくようなサクラの笑顔だった。赤子の十人はゆうに泣き出しそうな表情だ。 「ふふふ、アンタ、どういうつもり? 私たちに書類の山を見せるのがそんなに楽しいの? ねぇ? ねぇ?」 瞳孔の開いたエメラルドグリーンの瞳が綺麗なのにどこまでも恐ろしくて、冷や汗を流しながら思わず後退る。追い討ちを掛けるように、サクラはコキっと首を鳴らして凶悪な笑みを浮かべつつ、さらにナルトとの距離を縮めた。涙目になりながら目を逸らしても、扉が締まった執務室の中、後ろは壁、逃げようがない。 縮こまってゴメンナサイ、と呟くと、弾けるようにサクラの説教が飛ぶ。 「ごめんで済む話じゃないわよ!! まったく、アンタ毎度毎度仕事放棄して、それでも火影なわけ!? アンタにデスクワークが向いていないのは分かってるけど、だからって逃げるんじゃないわよ!!」 「いや、だって」 「だってじゃない!! あんたそんなんだからね、いつまで経っても火影としての威厳がないのよ! アンタの穴埋めで、どれだけ私とサスケくんが苦労していることか……!!」 そう言われてしまえば何も言い返すことができなくて、ナルトはただスミマセン、と呟いて目を逸らす。サクラは情けなく萎み切ったナルト(一応六代目火影、里のトップ)を壁際に追い詰めたままふん、と鼻を鳴らして、どうしてそんなに働きたくないの、と問うた。 「いや、サクラちゃん、何もそんなニートみたいな言い方しなくても……」 「アンタこのままじゃニートと変わらないわよ! ……ねぇ、少しは仕事にやる気出したらどうなの? せっかく夢だった火影になれたっていうのに」 「あ、いや、だから、別に仕事が嫌とかいうわけではなくて……」 「言い訳しない! それならどうしてそんなに仕事を抜け出すのよ!」 「いやだからそれは!!」 売り言葉に買い言葉のように、思わず啖呵をきっていた。先ほどからまるで、ナルトが仕事をしないダメ人間だと言わんばかりの言い草だ。いや、否定はできないけれども。これではまるで、ナルトが火影失格みたいではないか。いや、何度も言うが、否定はできないけれども。 なによ、と言わんばかりの瞳で真っ直ぐナルトを見上げてくるサクラに、ナルトはもはや逃げることもできずに渋々と口を開く。 「……サスケが、悪いんだってばよ」 ぽかん、と口を開いたサクラの顔は、いつもキリリとした彼女の柄にもなくずいぶんと間の抜けた表情だった。 * * * 綺麗だな、と純粋に思うのだ。 そう。サスケは男なのに、きれいなんだ。本当は顔や身体だけじゃない。その真っ直ぐな背中や、誰よりも一生懸命でひたむきな姿勢。芯の通った性格、誇り高い矜持。ツンツン尖っているようで懐に入れた者にはとことん甘い、その優しさ。それからごくたまに見せる、緩んだ笑顔。そういうサスケを構成している一つひとつを、その存在そのものを、ナルトは綺麗だと思うのだ。 下忍の頃もそうだった。意識して意識して意識しまくって、結局はまともに会話をすることも、普通の友達として仲良くすることもできなかった。そうして、大事なことに気が付く前に、それを伝える前にサスケは里を抜け、ようやくナルトはそれまでの自分の過ちに気付いたのだ。意地なんて張っている場合じゃなかったんだ。こんな大事なものに、失ってから気づくなんて。 後悔、していた。 だからサスケを連れ戻すために、ナルトは必死だった。当たり前だけれども、サスケが傍にいなかった三年間はけしてこんな風ではなかったのだ。サスケを目の前にしたところでどうにかして里に連れ帰ることに精一杯で、その姿にドキドキしている暇なんてなかった。サスケを前にしたって下忍時代が嘘みたいにひたむきになれたし、やましい目で見たことだって一度もなかった。そんな余裕もなかったのだ。 第五次忍界対戦が集結して、ボロボロになって血を流すサスケの身体を抱きかかえて、ナルトは安堵と後悔のいっしょくたになった気持ちでただ涙を流した。そうして誓ったのだ。もう二度と、自分はこの男を離さない、と。 里に連れ戻されて、サスケはしばらく牢に繋がれた。重い刑をまぬがれたのは、綱手ばあちゃんや他の皆の口添えがあったからだ。かつてうちはを疎み恐れた上層部以外の誰も、サスケの処刑を望みはしなかった。それが何も生まないことを、里の者たちは十分分かっていたのだ。 一年間を牢で過ごしやっと釈放されたサスケは、出迎えに来たナルトを見て、ごめん、と一言いった。それが何に対する謝罪なのかは分からなくて、けれどもそんなことは、この際どうでもいいことだった。サスケを抱きしめて(今のやましい気持ちではとてもできないことだ)、ナルトもまだごめんな、と言った。涙が出るかと思った。 サスケもやはりナルトの謝罪の理由が分からなかったのだろう、何でお前が謝るんだ、と言って、あやすようにその腕をナルトの背中に回した。確かなサスケの体温を感じながら、けれどもナルトは言葉を返すことができなかった。どうしてごめんと言ったのか、自分でも分からなかった。たぶんサスケだってそうだ。 ただ俺たちはこころの奥から溢れてくる色々な感情に押しつぶされそうになりながら、ただ抱き合って謝ることしかできなかった。理由はない、けれどもそれしか言葉がなかった。 だからそう、ナルトは誓ったのだ。サスケがまた、この場所で笑えるように。この里で、ナルトの隣で、笑って、いつか互いに、ごめんなじゃなくてありがとうと言えるように。サスケにとっての居場所になると、誓ったのだ。 ナルトが十九になるその年に火影への就任が決まって、真っ先にナルトはサスケの元に行った。そうして、俺の補佐になってくれ、とサスケに頼んだ。半ば予想していた通り、サスケの答えはノーだった。理由なんて考えるまでもなく分かる。サスケはナルトの将来に元罪人であった自分の存在は邪魔であると、そう考えるような奴だった。 けれどもだからこそ、ナルトはサスケに補佐になってほしかったのだ。サスケが火影補佐に就くのに眉を顰める者はもちろんいたけれども(主に上層部のじいちゃん方)、表立って意を唱える者はいなかった。かつてサスケのしたことは許されることではない。けれどもその事情は里のすべての者が知るところだったし、何よりサスケはその後の態度から里の者たちの信頼を得ていた。 そう、ナルトにとってサスケは相応でない存在なのだと感じているのは、他ならぬサスケだったのだ。 だから、ナルトはサスケに補佐として就くことを頼んだ。この先里の未来を見ていくならば隣にはサスケがいてほしいと思ったし、そうでなければならなかった。かつて忍世界に蔓延る闇の犠牲になったうちはサスケが、それを見届けるのに相応しいと思った。ナルトの隣で、ナルトが創り上げていく新しい木の葉を見ていてほしかった。 いや、それらは単なる大義名分にすぎなかったのかもしれない。何よりも一番強い理由は、ただサスケに隣にいてほしかったことなのだから。 とにかくナルトは何度もサスケの元に足を運んで、しつこく拝み倒して泣き落として、やっとの思いでサスケを口説き落とした。補佐にサスケ、さらにサクラ。参謀にシカマル。相談役にはカカシ先生。幸せだった。大事なものはぜんぶこの手のひらの中にあって、これは誰かが創りだした幸せな幻なんじゃないかと思うくらいに。夢のような日々だった。 かつて憧れだったサスケと肩を並べて、ふたりで里の未来を見据えて。ナルトは火影として、かっこいいところを見せちゃったりなんかもして。 大事なものになど気づきもせず、すべて手のひらからこぼれ落ちていった、無力な子どもだった頃。サスケというたったひとりに認めてほしくて、強く望んだ未来。いつかきっと、サスケを守れるくらいに、強く。守られるのではなく、隣に並べるように。そうなることを願った。 そう、ナルトはようやく、サスケと肩を並べるのに見合うだけの男になったのだ。 そのはずだったのに、どうしてこうなってしまったのだろう。 ……サスケさん?」 「おう、ナルト」 「………………えーと、おかえり」 執務室に戻ってきて真っ先に目に飛び込んできたのは、任務に出ているはずのサスケの、シミひとつない真っ白な二の腕だった。 全くもって、油断しきっていた。ぱちぱち、と二度瞬き。黒のタンクトップによってより一層映えた、サスケの透き通るように白い二の腕にしばらく固まって、必死に頭を機能させる。あれ、なんでいるの、お前。 きみが、僕を愛する理由・サンプル
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