目が合った瞬間、あからさまに顔を顰められた。

「よ」

それでも気づかないふりをして片手を挙げると、ややあってサスケも小さくよ、と挨拶を返す。いつもとなにも変わらない声だった。まるで自分達の間にはなにもなかったのだと、そう錯覚してしまいそうな。そう錯覚させたいような、声だ。
それでも僅かに顰められたその表情から、サスケがこの再会を喜んでいるわけではないのは明白だった。サスケは一瞬今すぐ回れ右をして逃げ出したいと本気で考えているような顔をして、それでもナルトがじっと立ち止まってサスケを待っているのが分かると、諦めたようにため息をついて真っ直ぐナルトに向かって歩いてくる。待ち伏せた駅の改札口、もうすっかり日も暮れて辺りは人影もまばらだ。

「……どこ行ってたの、お前」
「迎えなんて頼んだ覚えはねーぞ」
「まーまー、そう固いこと言うなってば」

びっくりするほどあっさりと済んだ再会の瞬間、最初の顰めっ面を除けばサスケの態度は至って普段通りだった。人気のない夜の道を、自然とサスケと並んで歩き出す。なんの滞りもなく進む会話。少しも違和感のない、いつもの自分達だ。サスケはあの夜のことはおろか、いままで顔を合わせていなかった数日間のことさえ口に出そうとはしなかった。その態度から、あぁ、やっぱりこいつはすべてをなかったことにしようとしているのだと思った。

でもそうさせてやるつもりはない。そのためにわざわざ、サスケの帰りを待ち伏せしていたのだ。

「……あのさ」

会話が途切れた瞬間を狙って響いた少し強張ったナルトの声に、ぴくりとサスケの肩が跳ねた。

「この前の、ことだけど」
「……なんだよ」
「二次試験の日の、アレ」
「なんのことだ」
「あんときの、話」
「は?」
「あれ……マジ?」

地面を睨みつけながら問うナルトの固い声とは裏腹に、小さく笑いを含んだようなサスケの声が夜の闇に吸い込まれるように響く。

「だからなんの話だよ」
「とぼけんなって」

あくまでシラを切り通そうとする笑い混じりの言葉を、ナルトは鋭い声で遮った。ここで話を合わせてやるのが優しさなのだということは分かっている、それでも誤魔化されてやるつもりなんて毛頭なかった。それではわざわざここまで来た意味がないのだ。
サスケは急に雰囲気の変わったナルトを驚いたように見上げて、こくりと息を呑んだ。狼狽えるように目線を泳がせて、それでも見つめ合った瞳の真摯さに、もう誤魔化し通すことはできないと悟ったのだろう。なにか言いたげに震えた唇は結局音を発することもなく、サスケは目を逸らすと自嘲的な笑みをこぼした。

「んだよ。やっぱり覚えてたのか、お前」
「……あぁ」
「あれきり連絡ねーから、もしかして覚えてたのかとは思ったけどな。……で、どうしたんだよ。文句でも言いにきたのか?」
「ちげーよ、ばか」

妙に穏やかなサスケの声が逆に居心地悪くて、戸惑いを隠すように返した声音は予想以上にぶっきらぼうなものになった。そんなナルトの態度に気を悪くすることもなく、サスケはまたこちらを駄目にする甘やかさで笑みを零す。ナルトのすべてを無条件に赦すようなそれは、それでもけっしてしあわせな笑みではないのだ。

「……じゃあなに。お前ほんとに、俺のこと好きなの」
「あぁ」

眉を顰められるかもしくは黙りこくられるかと思いきや、意外にも素直に頷かれて思わず面食らった。まるで別人みたいだ、と思う。それでもこれはサスケだ。ナルトが今まで見てこなかった、サスケが今まで隠し通してきた、紛うことなきサスケの一部分なのだ。

そうして――あぁ、こいつは本当に、もうすべてを終わりにする気なのだと思った。こんなふうに本音を晒けだして、たぶんサスケはもう二度とナルトの前に現れない。

黙り込んだナルトに小さなため息をこぼして、サスケは闇よりも濃い濡羽の瞳で星のない夜空を見上げる。

「――悪かった」

普段のサスケからは想像もできない、それでも予想していた言葉を吐かれて、思わずナルトの眉間に皺が寄った。

「悪かった。最初は言うつもりなんてなかったんだ。けど俺、酔ってたし。お前も酔ってたから、どうせ忘れんだろーと思って。別にお前とどうなりてぇとか、思ってたわけじゃねぇんだ。お前に気持ち受け止めてほしいとも思わねぇし、返事を聞きたいとも、思わねぇし――ただ、言いたかっただけだから」

だから、気にすんな。

そう言ってサスケはまた笑った。らしくない、いつになく饒舌な口調だった。まるでこうなった時の言葉を、前もって用意していたかのようだ。

「……お前はそれで、いーのかよ」
「だって、どうしようもねーだろ」

サスケはわがままを言えない子供だった。
自身の気持ちを聞いているのに、ナルトを困らせたくない一心でサスケは簡単に本音をはぐらかす。いつだって誰かを押しのけてまで、自分の気持ちを通そうとはしないのだ。
そうして笑うサスケの顔は、あの晩にサスケがナルトに見せたのとまったく同じ笑顔だった。すべてを諦めた笑顔だ。悲しい笑顔だ。泣きたいのはサスケのはずなのに、なんだかこっちが泣きたくなる。あんな顔で好きだと言っておきながら、サスケはナルトになにひとつ望んではいないのだ。

「もう、忘れろよ」

そのどうしようもない優しさが、いまは理由もなく腹立たしかった。

なぁお前、いまどんな気持ちで俺のとなり歩いてんのかな。好きって、いつからだよ。俺にはじめて彼女ができたとき、お前は俺のことを好きだったのか。それともごく最近か。フラれて泣きつく俺に、お前はどんな思いで話を聞いてメシまで作って泊めてくれたりしたんだ。

なぁ、いつだよ。いつからだよ。

言いたいことも聞きたいこともたくさんあった、それなのになにひとつ言葉にならなかった。あの晩死にそうな声でナルトに好きだと言ったサスケは、いまそれとまったく同じ声音で忘れろと言う。もうどうしたらいいのか分からない。

ただ、ひとつだけ確信している。今ここで別れたらサスケはたぶん、もう二度とナルトと口を聞くことはないのだろう。自分のためではない、ナルトのために、サスケは何事もなかったかのようにナルトの元を離れ、またあのなにも望んじゃいない顔をして笑うのだ。

――そう思ったらなんだか無性に、腹立たしくなった。

ふいに言葉もなく立ち止まると、サスケが驚いたようにふり返る。

「ナルト?」
「……言えよ、サスケ」

低く掠れたナルトの声音に、ふるりとサスケの長い睫が震えた。

「言えよ。もっかい、俺のことどう思ってんのか、言え」
「……ナルト」
「ふざけんな。冗談じゃねぇよ、クソ。言えって」

思い通りにならない感情に苛立った、無茶苦茶なわがまま。こんなのはまるで子供だ。分かっていても言葉は止められなくて、ナルトはただ立ち尽くしたままのサスケに詰め寄る。
それまで頑なまでにポーカーフェイスを保っていた端正な顔が、まるで迷子になった子供のように情けなく歪んだ。

「……ナルト、頼むよ。忘れてくれ」
「サスケ、」
「いいんだ、気にすんな。お前はなにも悪くねぇ。俺が勝手に好きになっただけだし、もう、終わりにするから。お前は春からサクラと木の葉だろうが。こんなことにかまかけてねーで、頼むからもう、俺なんかのことは」
「――ッ」

気が付けばその薄い肩を掴んで、道脇のブロック塀に乱暴にサスケの身体を押し付けていた。
短く息を呑んだサスケが驚いたようにナルトを見上げる。慌ててナルトを突き放そうともがいてきた白い手首、それも掴んで無理矢理塀に押さえつけた。サスケの言葉に、なぜか腑が煮えくり返ってたまらなかった。
逃げ場を失ったサスケが、声にならない拒絶を孕んだ瞳でナルトを見上げる。深い闇のなかに光を湛えた、まるで宇宙のような瞳だった。ナルトはただ見つめ返すことしかできなかった。二人ともすっかり息があがってしまっている。火照った身体は、ともすればぴったりとくっついてしまいそうなほど。馬鹿みたいに近い距離だった。これまでのそれとはまったく意味の違う、距離だった。

「――ずるい、お前」

わななくように震えたサスケの唇が、張り詰めた空気を弾くように小さく呟いた。こぼれ落ちそうなほど見開かれた濡羽の瞳が音もなく揺れる。

「んで、覚えてたんだよ。いつもは忘れるくせに。なんにも覚えてねぇくせに。こんなことに限って、ちくしょ……クソ、」

ゆらゆら揺れる瞳は、気を抜けば泣いてしまうんじゃないのかと思った。それほど不安定な声音だった。それでもサスケは目を逸らさずに、否、逸らせずに、吸い込まれそうな大きな瞳でただひたすらにナルトを見上げる。薄い唇からこぼした悪態までもが、なんだか泣き声みたいだった。

「ずりぃのは……お前、だろ」

あんな、あんな瞬間を狙いやがって。人が酔っ払っている時に、忘れると知っててキスしやがって。
――お前それで本当に俺が忘れていたらどうするつもりだったんだよ、クソ。

忘れなかった理由なんて。こんなにも苛立つ理由なんて、そんなの。

(簡単なことだ)

あの唇の感触を、ナルトはもう二度と忘れたくなかったのだ。

震える唇に顔を寄せて、そのまま掬うようなキスをした。
サスケは一瞬びっくりしたみたいに目を見開いて、この世の終わりみたいな顔をして固まる。それから思い出したように身を捩って抵抗してきた。だけど離してやらない。必死にナルトを引き剥がそうと暴れる身体を押さえつけて、苦しげに吐息を漏らす唇を滅茶苦茶に蹂躙する。サスケの膝がガクンと笑って、後頭部がずるりとブロック塀を滑った。のけぞった白い喉がこくりと上下して、溢れそうになった唾液を懸命に飲み込む。二度目のキスは真冬の空の味がした。地球の味がした。

サスケはどこまでも諦めがいいから困る。わがままを言わないから困る。妙なところで自信過剰なくせに、自分の未来だとかしあわせになる権利だとかをこれっぽっちも信じちゃいない奴なのだ。

お前もっとわがままになれよ。欲しいなら欲しいって手を伸ばして言えよ。お前の気持ちはそんなものなのか。俺の返事も聞かないままあっさりと諦めてしまえるほど、お前の気持ちは軽いのかよ。違うだろ、クソ。欲しくて欲しくて仕方ないんだろ。
そうでなければナルトが困る。

今夜あんな笑顔でサスケに忘れろと囁かれて、ナルトは確かに傷ついたのだ。

――それがなぜだかなんて、あぁ、クソ。

(そんなのもう決まっている)

気付いてしまえば気付けなかったそれまでの日々が馬鹿らしかった。

まだ抵抗をやめない両腕を掴む指に、さらに力を込める。顔を傾けてより一層口付けを深くした。固いブロック塀に押し付けられた頭が可哀想だと思ったけれども、どうしてもやめたくなかった。こうなってしまった以上とても逃がすことなんてできない。焼け付くような思いに、頭のなかが真っ白になる。あぁ、こんな思いをするならばいっそのこと気付かなければよかった。苦しくて苦しくてたまらないのだ。
いくら求めたところでこいつは俺を置いて、春から他県の大学に行ってしまう。

本当は気付かないふりをしてきただけだった。ふとすればサスケを目で追ってしまうこの不可解な感情を、見えないふりをして無理矢理に押し殺してきただけだった。近くて遠いこの距離を、俺がどんな思いで泳いできたか。必死に目を逸らして逃げることが、一番簡単で無難で傷付かずに済んだのだ。結局は変わることを恐れて気持ちごと閉ざした臆病者だった。

いつまでも隣にいたいと願った幼い頃の夢だとか、逃げるように女の子からの誘いにはすべて乗ってそのくせサスケに彼女ができないことに密かに安堵してきたこととか。ギリギリで志望校を上げたのだって、少しでもサスケにつり合う人間になりたかったからなのだとか。
そんなの全部、お前は知らない。

あの日のキスに、思わず泣きそうになったことだって。

全部全部、お前は知らないのだ。






スターフィッシュ
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