一年が経って、また次の夏が来た。

砂利道を進んだ車が広い広い屋敷の敷地内に停まった瞬間、ナルトは車を飛び降りて玄関へと向かった。走らないのと後ろからクシナの声が聞こえて(毎年のことだ)、それでもやはりナルトは止まらなかった。その年は父親の仕事の都合で曾祖母の家に遊びに行けたのはもう夏休みも半分が過ぎた頃で、季節は夏の盛りだった。いつもならサスケはとうに到着している頃合いだ。一刻も早くサスケに会いたくて、ナルトは屋敷の中に飛び込む。

一年ぶりの親戚のおじさんおばさんたちは相変わらずで、子供たちは日焼けで真っ黒だった。顔を合わせる度に挨拶をして、けれどもどこにもサスケの姿は見当たらなかった。広い屋敷の中を隅々まで探す。まだ来ていないのか、もしくはまさかもう帰ってしまったのだろうか。
急くような気持ちでナルトは居間に戻って、親戚たちに挨拶をして回っているクシナの元に駆け寄った。服の裾を掴んで、サスケはいつ来るんだってばよ、と問いかける。クシナは目を丸くして、あら知らなかったの、と言った。

「サスケくんならもういないわよ。留学したの、アメリカに」



















ナルトはひたすらに自転車を漕いだ。照りつける日差しは容赦なくナルトの肌を焼いて、全身から水分を奪っていく。流れた汗が額や顎を伝って、それでもナルトは足を止めなかった。あの日サスケが引っ張りだしてきて二人で乗った、錆びた自転車。ナルトはそれをひとり漕いで海を目指した。あの海が見たかった。
喉がカラカラに渇いて、肌をなぶる熱気に意識が朦朧とする。坂の向こうがゆらゆらと蜉蝣のように揺れて、ナルトは眩しく目を眇めた。目を開けていたいのに太陽が邪魔をする。いくつもの車に追い越されて、すれ違って、ナルトはただ足を動かし続けた。足を止めたら色々なものに押し潰されてしまいそうだった。
上り坂に差し掛かって、ナルトは既に上がった息でサドルから腰を上げる。全身の体重を掛けて、ペダルを漕いでいく。一気に駆け上がって、開けた視界をナルトは上がった息で見据えた。



***



土手を下りきったところで自転車を放り出して、ナルトは息を整える暇もなく砂浜を駆けた。足跡ひとつないまっさらな砂の海、その白を途中で分かつように、海へと真っ直ぐ向かっていく。寄せた波が足を濡らして、けれどもナルトは構わずにバシャバシャと足元の海を跳ねさせた。膝くらいまで浸かったところで、水の重みに阻まれてナルトはようやく足を止める。際限なく広がる果てしない海。その青を見つめて、ナルトは肩で息をした。どこまで見渡しても、その向こうには水平線しか見えなかった。
青い空にきらめく海、波の色。輝く太陽。そこは相変わらず、現実離れした美しい世界だった。視界に映る景色は去年とも一昨年とも、なんら変わってはいないのに。

それなのに今、どうしてナルトの隣にはサスケがいないんだろう。

額の汗を拭う。冷たい海水がナルトの熱を少しずつ奪っていって、ナルトはようやく息を落ち着かせた。ため息のように吐息を零す。遠い遠い水平線のそのまた先を見据えた。サスケは行ってしまったのだ。この海の向こうへ。ナルトに何も言わずに。どうして?考えたって理由なんて分からなかった。抱きしめられて紡がれた、去年のサスケの言葉を思い出す。どこにも行かない。約束、する。嘘つき、とナルトは心の中で吐き捨てた。受け入れることができなかった。サスケは行ってしまったのだ。ナルトを置いて。あの日の言葉はぜんぶぜんぶ、ナルトに対する残酷な優しさだった。

あぁどうして、どうしてサスケはナルトに何も言ってはくれなかったのだろう。なぜナルトに黙って、遠くへ行ってしまったのだろうか。どうしてあの日嘘をついたんだろう。ダムが決壊したようにいろいろな想いがあふれてきて、ナルトはただ立ち尽くすことしか出来なかった。大好きだったはずのこの海がなんだか憎くて、怖かった。サスケはナルトの心のとてもとても深いところにいて、少なくともナルトだって、あの屋敷の中では一番サスケの近いところにいると、そう思っていた。自分だけがサスケに心を許されていると思っていた。それは自惚れだったのか。そう思っていたのはナルトだけで、所詮サスケにとってナルトなど、ただの親戚の子供でしかなかったのだろうか。

ずっとずっと、あの瞳に焦がれていた。サスケと近づきたかった。横顔の意味を知りたかった。知って、そうして癒してやりたかった。サスケの心の底にある、何かを。自分がしあわせにしてやりたかった。傍にいてほしかった。初めて出会った七年前の夏から、ずっとずっとそれだけを望んでいたのに。

――そんなものは全部、何の意味もなかったのだろうか。


ナルトは海に向かって涙を流し続けた。嗚咽を漏らして、みっともなく声を上げる。いくら問いを投げ掛けたところで、広い海は凪いだまま何も答えてはくれなかった。この海の向こうにサスケはいるのだ。アメリカ。そんなの遠すぎて少しも実感が湧かなかった。次はいつ会えるのか。会える日は来るのだろうか。もしかしたらもう二度と会えないのかもしれない。
もう何も分からなかった。いつか見た笑顔も、この砂浜で抱きしめられたことも、サスケの言葉も、ぜんぶぜんぶ遠い遠いむかしのことな気がした。それともあれはぜんぶナルトの見た夢だったのだろうか。必死に手を伸ばして、それでも結局はナルトの手をすり抜けていった、あの夏は。
ナルトは大声で泣きながら、ぼろぼろと涙をこぼした。手のひらからこぼれていった、あっさりとナルトを追いていってしまった夏を思って。サスケを連れて行ってしまったこの海を憎んだ。己の無力なてのひらを憎んだ。涙は顎を伝ってほたぽたと落ち、広い海に混じってかき消されていった。もうこの海にはなにもなかった。いくら泣いてももうサスケは帰ってこないのだ。サスケはもう、どこにもいない。

ナルトの夏の、終わりだった。







こぼれた夏を謳う空
(120427)

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