俺ってば、なんだってあんなにアイツのこと気に喰わないんだろう。



初めて会ったときから、サスケはとにかく嫌な奴だった。
エリート一族の御子息サマで、成績優秀にしてアカデミーを主席で卒業。容姿端麗、女子にはモテモテ。それでいて媚びへつらってくる周りの連中になどけっして迎合しない、誇り高い性格。とにかく皆が羨むすべてのものを持ち合わせた、非の打ちどころのない奴だった。ナルトの大好きなピンクのあのこも例にもれず、大きな瞳をキラキラさせて漆黒の少年を見つめる女の子の一人なのだ。ずりーよな、神様。アイツばっかりそんなに贔屓しちゃってよぉ。天はヒトの上にヒトをつくらず、なんて、そんなの嘘っぱちだ。

それなのに本人はそんなこと歯牙にも掛けず、自分に群がってくる女たちなどどうでもいいというふうにひたすら修行に励んでいるから、そこがまた腹がたつのだった。なんだよなんだよ、スカしちゃってよぉ。女の子にきゃーきゃー騒がれんのが男にとってどれだけ素晴らしいことなのか、お前わかってんのか。いや俺はたったひとりにだけ騒がられればそれで幸せなんだけどね――そんな慎ましやかでケナゲな俺の願望を、よくもよくも!

(お前にとっちゃどうでもいいコトでも、俺にとっちゃ一大事なんだぞ!?)

そういうわけでナルトは毎日毎日、飽きもせずに、なにかと理由をつけてはサスケにくだらない喧嘩をふっかけていた。それは端から見れば、心底どうでもいいような内容であるらしい。ある日カカシにそう呆れ顔で言われたことがある。それでもナルトにとっては、内容なんて正直どうでもいいのだ。とにかく気に喰わないサスケに文句さえつけられれば、それで満足だった。

ったく、てめぇはいつもうぜぇんだよ、このウスラトンカチが。
サスケはそのたびにお綺麗な顔を顰めて、相手をするのも面倒くさいという風に鼻を鳴らす。サクラは翠の瞳をつりあげて、サスケくんになんて口聞いてんのよしゃーんなろー!と叫びながらナルトにキツい一撃を加えてくる。それでもナルトはめげなかった。なんとかしてサスケを負かしてやろうと、おちこぼれはおちこぼれなりに精一杯頑張っているのだ。

(だって何でかわかんねーけど……俺、アイツにだけは負けたくねぇんだもの)

アカデミーのころから、気になって気になって仕方なかった。
あの圧倒的な存在感でどこにいてもまぶしいオーラを放つ、きれいなきれいな少年が。


***


真っ赤に染まった夕暮れの土手、任務帰りの道。片脚をみっともなく引きずって、ナルトはもたもたと家路を歩く。一歩進むたびに、腫れ上がった左足首はズキズキと脈打って鈍い痛みを訴えてくる。

(……ほんと、気に喰わねえってば)

Dランク任務中の出来事だった。鬱蒼と茂る森のなか、第七班は運悪く山賊に出くわした。ひとり離れたところにいたナルトは真っ先に標的にされたらしく、気付いた時には敵は目と鼻の先。抜き身の刀が真っ直ぐに振り下ろされるところだった。
ナルトは一瞬状況を理解できずに固まった。そのせいで、反応がすこし遅れたのだろう。敵の刃をギリギリ避けたはいいものの、次の瞬間、ナルトはバランスを崩して盛大に足を捻らせたのだ。

しかしその刹那、空気を切り裂き飛んできたサスケのクナイによって、敵は頭から血を流し地面に倒れ込んでいた。残りの山賊共はカカシが次々と、目にも止まらぬ速技で倒していく。サスケはカカシの援護はせずに、下忍二人を守ることが最優先と判断したのだろう。ナルトとサクラを背に庇い、驚くほどの自然さで敵との前に立ちはだかっていた。その後ろ姿はナルトも認めざるをえないほど、まぶしくて、格好よかった。

――助けられた。だから本当はお礼を言うべきだったのだろう、と思う。それでも無性に悔しくて悔しくて、気付けばナルトは叫んでいた。

よけーなことしてんじゃねぇってばよ、サスケェ!あんなの、俺ひとりで充分倒せたっての!

サスケは呆れたように鼻を鳴らして、転んでたやつがなに喚いてんだ、と至極もっともな反論をした。今更お前を助けることなんてなんでもねぇ、そう言いたげな涼しげな表情だ。あれだけの騒動のあと、サスケは汗ひとつかいてはいなかった。その余裕がまた一段と格好よくて、ナルトにとっては悔しかった。

捻った足首は少しずつ痛みはじめ、里に着くころにはもう、歩くのにはつらいほど腫れ上がっていた。それでもナルトは必死にやせ我慢を続けていた。なんの役にも立たなかったうえに怪我までしたとあっては、ナルトのプライドが許さなかった。ましてやそれをサクラやカカシに気付かれることなど言語道断だ。最後の意地を振りしぼって、ナルトはいつもの通り笑って七班の面々と解散した。

今になって、ナルトは自分のくだらない強がりをひどく後悔していた。
これは――痛い。とてつもなく、痛い。
人外の回復力で怪我などすぐに治ってしまうナルトにとって、怪我の治療の仕方など知れたものではなかった。
え、何これ、どうすりゃいーの。とりあえず冷やして。ホウタイ巻いときゃ、治んのか?
捻ったほうの足首に思わず体重をかけすぎて、電流が流れるような激痛が走る。ズキン。痛みが脳みそにまで響く。

――もうムリ、これ限界。

ナルトは歩くのを断念した。ここまで頑張ったんだから、俺のオトコとしてのプライドは保たれたはずだ。よくやった俺、ざまあみろサスケェ!本人が聞いたらなんの話だと聞き返されそうなことを頭のなかで叫んで、休憩できる場所はないかと辺りを見渡す。

(あ、)

見おろした土手の下。小さく広がる河原から、夕日を反射してキラキラと光をこぼす水面に向かって、ぽつんとひとつだけ寂しそうに突き出した桟橋が目にはいった。とくん。心臓が密やかに跳ねる。
……休みてぇんだ。しかたねーだろ、あそこしかねーもの。
誰にともなく言い訳をして、ナルトそろそろと少し急な土手を降り始めた。桟橋に一歩足をかけると、コツン、心地よく木の音が響く。コツン、コツン。靴音を鳴らして、眩しく光る水面に包まれたその上を進む。靴を脱ぎ縁に腰をおろして、両脚を投げだしてみた。
あの頃の、サスケのように。

(ほんと、しかたねーだろ。こうするしかねーんだ、歩けねんだよ)

心の中で、再び言い訳を繰り返す。
何も悪いことなどしていないはずなのに、何故かほんの少しの後ろめたさがあった。いや――理由は、わかっている。この場所は、サスケの場所だ。否、サスケの場所だった。誰が決めたわけではないけれど、ナルトにとってそれは絶対なのだ。
いつもいつも、あの土手の上からここに座るうしろ姿を見つめていた。あの頃のナルトにとってサスケは遠すぎて、この場所はとても近づくことのできない神聖な領域だった。ナルト如きが立ち入ってはいけない、場所だった。

(あの頃の俺には、ただ見ていることしかできなかったんだ)

ぱしゃん。裸足の左足を、光のなかに沈める。ひんやりとした川の流れが、熱をもった箇所をじんわりと冷やしてくれた。少しばかり楽になるのを感じる。このまま痛みが和らぐまで、少し休んでいこう。時間がたてば、マシになるかもしれない。
ぼんやりとしながらも脳裏にちらつくのは、あの冴え冴えとした黒硝子の瞳だ。
――あの、少年を。
どうして自分は、こんなにも気になるのだろうか。
いつも気がつけば、少年の後ろ姿を目で追っている。気がつけば、その瞳をこちらに向けてほしいと望んでいる。深く美しい濡羽色は、いつもナルトの心の奥をざわめかせ、揺り動かしてくる。四六時中こんなにも存在を意識して、一挙一動に左右される相手なんて、今までにはいなかった。

(俺きっと、アイツのことすげぇキライなんだってばよ)

でなければおかしい。守られたのに、こんなにも腹が立つのは。悔しくて悔しくて、たまらないのは。


「――ナルト!!」


ふいに澄んだ声が鼓膜を震わせて、ナルトの背中はビクリとのけぞった。脊髄にビビビ、と電流がはしって、心臓がドクンと破れそうな音をたてる。
この声は――間違いない、アイツだ。声ひとつで俺にここまでの攻撃を加えられる奴なんて、この世に一人しかいないのだ。

「……サ、ササササ、ササ……、サスケエェ!」

声のした方向をものすごい勢いで振り返ると、夕日の差した河原の向こうから、これまた任務帰りのサスケがいつもの澄ましたお顔で歩いてくるところだった。
よりによって、今!なんで、コイツの顔なんか見なきゃなんねーんだ!
ナルトの悲鳴に形のいい眉をわずかに顰めたサスケが、ゆっくりと口をひらく。

「……なんでそんなにテンパってんだ、お前」
「ななななな、なんでお前がここにいるんだってばよォ!」

サスケはアカデミー時代、よく一人でここに来ていた。この河原が帰り道なのだろうということは、冷静に考えればわかったが、残念ながら現在のナルトはそこまで落ちついた状態ではなかった。突然の“気に喰わないアイツ”の登場に、心臓がドクドクと危険信号を鳴らしていた。
サスケはそれはこっちの台詞だ、と呆れたように呟いて、河原の土を踏みわけながらナルトへと近付いてくる。んだよてめぇ、こっちくんな!おまえ俺のことなんか好きでもなんでもねーんだろ、ウザいんだろ!なんで今日に限って寄ってくるんだってばよ!
ナルトは視線を水面へと向けたまま、顔をあげられない。頑なに手のひらを握りしめたまま、動けなかった。少しずつ、気配が近付いてくるのがわかる。コツン。桟橋に、もうひとりぶんの体重が掛かる。コツン、コツン。足音が響くたびに、それに呼応するようにナルトの心臓はトクトクと鼓動を刻んだ。時の流れが、まるでスローモーションのようだった。こんなにドキドキするのは、怪我をしていることがバレるのを恐れてだ、ほかに理由なんてない、と必死に自分に言い聞かせる。