『あぁ、そっか。だからお前たち、今日あんなによそよそしかったのか』
『へ?』
『いやお前たちっていうか、ナルト、お前か。サスケはいつも通りっちゃあいつも通りだったけど、お前がやけにサスケのこと気にしていたみたいだから、どうしたのかなー、とか思ってさ……なーるほどねぇ』
『ち……ちがうってばよ!気にしてるとか、そんなんじゃねーもん!――ただ、』
『ただ?』
『ただ、なんか……サスケみてっと、うーん、なんて言うのかな……すげぇ、イライラするんだってばよ。平静でいられないっていうか、心臓がすげぇバクバクして、頭の中わけ分かんなくなって。だから俺きっと、あいつのことだいっきらいなんじゃねーのかなって、思ったりもしたんだけど……カカシせんせってば、どう思う?』
語尾が近づくにつれてだんだんと自信がなくなっていき、最後のほうはほとんど消え入りそうな声音で呟きながら、ナルトはカカシを上目に見上げる。
『ナルト……お前それ、本気でいってるの』
カカシはまるでこの世のものと思えない生き物を見るような目でナルトを見た。……どういう意味だってばよ。あんまりなその反応にナルトが憮然とした表情で問い返すと、カカシはふぅ、とため息をついて、遠い目をしながら空に浮かぶ白い雲を仰ぐ。
『……若いねぇ』
『……カカシ先生、オヤジ臭いってばよ……』
『うん、そーだね。俺もいつのまにか年とったなぁ……』
『……でも俺、べつにそこまでコドモじゃねーってば』
『うん。空が青いねぇ』
今思えばまともに取り合われていなかった気がする。カカシはずるい大人だ、とナルトはいつも思うのだ。
でもずるいといえば、サスケだってそうだ。あんな不意打ちみたいな優しさを見せては、人の心を散々ざわめかせておいて、それなのに自分は何事もなかったかのように澄ました顔をしているなんて。なんという小悪魔だ。そんなのありかよ、サスケ。ヒトのいたいけなココロ、踏みにじりやがって。
ずるいってば、そういうの。
「サスケ」
水底を探って上下する細い背中に、ナルトは意を決して声をかけた。さらり、つんつん立った真っ黒な髪が揺れて、これまた真っ黒な切れ長の瞳がスッとこちらを振り返る。白い肌に太陽の光がまぶしく反射して、こくん、ナルトは息を呑んだ。
――分かってはいるのだ。別にサスケはずるくなどないし、ましてや小悪魔なんかでもない。サスケにとってはあの日のことなど、本当に、特に意識するようなことではなかったのだ。いくら毎日いがみ合ってはいようとも、仮にも仲間であるナルトを、サスケはただ放っておけなかっただけだった。それだけだった。ナルトひとりが、勝手に意識しているだけなのだ。
それでも。
分かってはいても、サスケにあの日のことを忘れられてしまうのは嫌だった。どうでもいいことだと思われてしまうのは耐えられなかった。おかしな話だ。ライバルであるサスケに助けられたことなど、ナルトにとっては屈辱以外の何物でもないはずなのに。それでもそんなちっちゃなプライドは海の向こうに放り投げてでも、忘れてほしくないと望んでいる自分がいた。理屈抜きで、心が訴えてくるのだ。
狂おしいほど真っ赤に染まった夕暮れの中、かつてどうしても立ち入ることのできなかった神聖な場所で。どこまでも優しく労るような動きをみせた、白いてのひら。見おろしたうなじの細さに、理由もなく鼻の奥がつんとした。繊細な指先が気遣うように腫れた箇所をなぞるのに、胸を締めつけられるようなせつなさを覚えた。全速力で駆けこんだアパートのベッドの上、丁寧に巻かれた包帯にそっと指をはわせた瞬間――なんだか、泣きそうになった。
どうでもよくなんかないのだ。ぜんぜん、ないのだ。あんなふうに誰かに無条件に傷の手当てをしてもらうことなど、ナルトにとっては初めてのことだった。
アカデミー時代いつも眺めていた、夕闇が辺りを包むなか両親に手を引かれながら去っていく子供の、幸せそうな後ろ姿。それをただ指をくわえて見ていることしかできなかったあの日、どうしようもなく憧れ切望したぬくもりに、サスケの温度はよく似ていた気がした。
(お前にとっては、ただの気まぐれでも)
俺にとっては――だいじな、だいじな。
(おもいで、なんだ)
忘れてほしくなんか、ない。
「俺もう、足治ったんだけど」
長い睫毛をふるりと震わせ、サスケは一回ぱちりと瞬きをした。それからぎゅうと眉間に皺を寄せ、いまさらどうしたんだ、とでも言いたげな表情をする。
「……んなの、知ってる」
「じゃあなんでお前、なにも言ってくれねーんだってば」
「あ?」
「なんで――あのあと、なにも言ってこねーんだよ」
「なにも、ってなにをだよ」
「………」
そう問われると返答に困って、ナルトは口を噤む。別に、なにを言ってほしいというわけではないのだ。ただサスケになかったことにされてしまうのが、どうしようもなく怖かった。あの日からずっと、心の中でなにかが燻っている。自分でも分からない、不可解な感情だ。
「――んなの、わかんねーってば」
「はぁ?」
「わかんねぇよ、俺にも」
「……いったい何がしてぇんだ、てめぇは」
脈絡のない問いを繰り返すナルトを訝しむように、サスケは相変わらずの顰めっ面で呆れたように呟く。
あぁだから、わからねぇんだ。教えてくれよ、サスケ。どうして俺はこんなことを思っているんだろう。どうしても忘れられないんだ。どうしても、忘れてほしくないんだ。あのずっと憧れていたサスケが俺のために何かをしてくれたなんて、特別なことだと思いたい。サスケにだって、少しは意識してほしい。そうでもないとナルトばかりがひとり勝手に浮かれているようで、なんだか切なくて仕方なくなる。
こんなこと思うの、おかしいのか。おかしいよなぁ。でも仕方ないんだ。なによりも気にくわないはずのお前が、心をざわめかせてやまない。不可解な渦が身体を蝕んで、たまらなくなる。なぁ、これはなんなんだ。
教えてくれよ、サスケ。
「……うん、なんでもねぇよ。やっぱいいってば」
落ちついてみれば随分な無茶振りだったと気づいて、ナルトはため息とともに首を振った。
サスケは一瞬ムッと眉間に皺を寄せ、それから怒ったように顔を背ける。その様子がわずかに傷ついているように見えて、ナルトは息を呑んだ。
「お前、なにふてくされてんだかしらねーけどな……んなに俺に助けられたのが嫌なら、怪我の治療くらい自分で覚えりゃいいだろうが」
紡ぎだされた声はいつもと変わらないごくごく静かな響きだったけれども、その内容は三日前のサスケの言葉を彷彿とさせて、思ったよりも遥かに深くナルトの心に突き刺さった。
『お前、俺のこと嫌いだもんな』
あの日なんの感慨もなく、さらりと言われた言葉。グサリと密かに心を抉った、その問い。否、あれは問いですらなかった。答えを確信した言葉だった。
それに自分は、なんと返しただろうか。
肯定はしなかった。でも否定もしなかった。誤魔化して、逃げたのだ。答えるのが、答えを考えるのが、恐ろしくて。
どうやらあの時の沈黙を、サスケはそのまま肯定ととったらしい。
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