それからは曾祖母の家に行くたびに、ナルトは決まってあの若い叔父の姿を探した。
理由なんてない、ただあの深く澄んだ瞳だとか高潔そうな唇、静謐な横顔、まっすぐ芯の通った背中、そういうサスケを構成する何気ないひとつひとつが、ナルトの心を深く深く惹き付けてやまなかった。それはまたどんなに欲しい玩具をねだる瞬間とも、ブラウン管の中のヒーローに抱く憧憬とも、少し違う、とにかくナルトにとっては未知の感情で、その胸に広がる熱っぽい震えの名前をナルトは付け損ねた。

最初にクシナにサスケのことを聞いたのは、サスケと初めて出会ったその日の夜のことだ。風呂上がりの湿った髪をがしがしと拭かれながら、なーなーあれは誰だってばよ、とナルトが尋ねると、クシナは逡巡するようにほんの暫し手を止めて、弟よ、と言って笑った。その答えに驚いたナルトは、その一瞬の沈黙に気を留める余裕もなかった。それまでクシナに兄がいることは知っていたけれども、弟の存在などは一度も聞かされたことがなかったのだ。どうして去年までは会えなかったのかと聞いたら、全寮制の私立中学に通っていたのだと教えてくれた。そこに入学する前、サスケがまだ小学生だった時にも、自分達は一度だけ会ったことがあるらしい。もちろん当時赤ん坊だったナルトにその記憶はなく、なんとなくつまらない気持ちで、ふぅん、と答えた。


***


サスケは本当に謎の多い人物だった。

サスケは母の弟、つまりは本家の子供で、まだ学生なのだから当然曾祖母の家で暮らしているはずだった。屋敷の奥には親戚たちが寝泊まりする客人用の部屋とは別に、曾祖母、祖母、母の兄夫婦とその子供、そしてサスケの私室がそれぞれあることをナルトは知っている。
それなのに、サスケはいつも曾祖母の家にいるわけではなかった。夏休みに“帰って”くるのだった。他の親戚達に比べても、滞在期間はかなり短い。持ってくる荷物はいつも小さめのエナメルひとつ、玄関先に現れたかと思えばすぐに自分の部屋にひっこんで、一週間ほど泊まっていくこともあれば、二、三日で帰ってしまうこともあった。ナルトが帰る前日の夜にようやく顔を出すような時もある。とにかくその行動パターンはまったくもって予測不可能で、一日でも長くサスケを見ていたかったナルトはなんとか時間を合わせようと密かに苦労した。他の子供たちのように夏休みの間中ずっといればいいのに、と、そうは思いつつも、未だに声すら掛けることもできないのがナルトの現状だ。

そもそもサスケは、その短期間の帰省を楽しんでいるのかすらも疑わしかった。

曾祖母の家は騒がしい。北から南から親戚のほとんどが集まって、久々の再会を喜び積もる話に花を咲かし、大人達は酒を酌み交わせば、小さな子供ははしゃいで屋敷中を走り回る。笑い声や怒声が飛び交う。

そんな中で、サスケだけがひとり違った。サスケだけがひとり、異質だった。サスケはけっして親戚達の騒ぎに混ざることがなく、ましてや同じ年頃の子供たちと一緒に遊ぶような姿など、ナルトは一度も見たことがなかった。サスケは何をするでもなく、ただあの夜のような瞳で静かに世界を見つめていた。そのふたつの烏羽玉の瞳はなにも語らない。薄い唇は閉ざされたまま、ナルトの知る限り、どうやらサスケと言葉を交わしているのは曾祖母とナルトの母のみのようで、それすらもけっして多いわけではなかった。そもそもサスケは大概奥の一室に籠りきりで、なかなか部屋の外に出てくることがないのだ。

だからナルトがサスケをじっくりと見ることができる機会など、親戚全員が集う食事時くらいのものだった。その時もサスケはいつも長い長いテーブルの一番端に座って、やはり誰とも会話をせずに、視線すら上げることもせず黙々と箸を動かしていた。一見無関心なように見えるそれは、しかしそうではないのだとナルトは気付いた。逆だ。サスケは頑ななまでに、目には見えない何かに怯えていた。拒絶とは違う。その俯きがちの横顔はむしろ、ひたすらに自分の存在を謝罪しているかのように見えた。まるでその場所にいることを、親族の目に触れることを恐れるかのように、見えない壁の中で息を潜めてサスケは自分だけの世界をつくる。そしてそのことに周りの親戚たちもまた、安堵を覚えているように見えた。お互いに干渉しあわないことでお互いの平穏を守る。そんな暗黙の了解が、サスケと親戚たちの間にはあった。

それでもそんなことは、子供のナルトにとってはまったく関係のない話だった。その微妙な不和が気にならないわけではないけれども、どうでもいいと言ってしまえばそれまでだ。たぶんそこに深い疑問を持つには、ナルトはまだ幼すぎた。

ナルトからすれば、サスケがそこにいるという事実、ただそれだけが重要だったのだ。いくらサスケが極力目立たないように過ごしていたとしても、ナルトにとって彼の存在はいつも誰よりも強くそこにあった。まるで光でも放っているかのように、モノクロの、それなのになによりも美しい世界がそこにあった。あんまりに異質で綺麗だったから、ひょっとしたらサスケは宇宙人なんじゃないかと思った。どこから遠い星から地球にやってきた、宇宙人。それならこの謎の多さも瞳の色も親戚達の態度も、すべて納得行く気がした。

難しいことは分からない。大人たちの腫れ物に触れるような態度もサスケの閉ざされた唇も、横顔の理由も、なにひとつわからない。
でもどうでもいい。

ただ、サスケは綺麗だった。


***


それは多分、ジリジリと照りつける太陽が容赦なく肌を焼いたある日の昼下がり。サスケと出会ってから三回目の夏の話だ。

従兄弟のお兄さんに手を引かれながら背中をチビたちに押されて、押すなよ、あっ足ふんだ、いてぇ、云々、ぎゃあぎゃあと騒ぎながら飛び出した玄関先で、ナルトはふと足を止めた。ふぎゃっ、と背中にぶつかった子供が鼻を押さえて恨めしげにこちらを睨んだことにも気付かなかった。突き出した屋根に日光を遮られて涼しげに佇む縁側、そこに彼を見つけたのだ。いつもはめったに外に出ることのないサスケが、黒髪を自由に風に遊ばせながらぼんやりと縁側に腰掛けていた。たとえば砂浜で綺麗な貝殻を見つけた瞬間のように、ナルトの心臓は大きく跳ねた。

渦巻くような感情に支配されたままナルトは、サスケ、と零していた。その無意識の呟きを、手を繋いだままの従兄弟は聞き逃さなかった。訝しげにナルトを見下ろし、それからその視線の先をたどって、縁側にいる人物を見留める。途端従兄弟は、ぎゅ、と眉をしかめて、握った手に力を込めた。

「行こうぜ、ナルト」

少し乱暴に手を引かれて、思わず前につんのめる。驚いてその顔を見上げると、頑なに縁側から目を背けたまま、別人のように険しい顔をしている従兄弟がいた。少年の幼さの抜けかけた顎のライン、それから暑さに汗の溜まった鎖骨の窪み、それをぼんやりと見上げて、ナルトは困惑に首を傾げた。少年の瞳は明らかに嫌悪を含んでいて、冷たい悪意のようなものを含んでいて、それが誰に向けられたものだかなんて、そんなの考えるまでもない。サスケにだ。

「あ……あの人とは、いっしょにあそばないのかってば」

喉の中が変に渇くのを感じながら、ナルトは思い切って従兄弟に聞いてみた。サスケがあんなに冷たい視線を受ける理由が、どうしても理解できなかった。

「おじさんも……遊びたいんじゃ、ねーのかな」
「あんなの、叔父さんじゃねーよ」

びっくりするほどの温度のなさで従兄弟はきっぱりと言い切った。言い切って、それから家族でもねーよ、と付け足した。黙り込んだナルトに追い討ちをかけるように、父ちゃんだってそう言ってるぜ、と続ける。少年の父はナルトの母の兄、つまりはサスケの兄だ。
途方に暮れて従兄弟を見上げると、少年は顎に滴った汗を片手で拭いながらくるりと振り返って、知ってるか、と呟く。

「あいつ、大ばぁちゃんともばぁちゃんとも血ぃ繋がってねーんだ」

ぽかんと口を開いた。そんな間抜け面を気にも留めずに、少年は憮然とした表情でナルトを見下ろしたまま吐き捨てるように続ける。

「オメカケの子供なんだってさ」

それきり従兄弟は前を向いて歩き始めたから、ナルトはそれ以上なにも聞くことができなかった。オメカケ、の意味がナルトには分からない。けれども問い返すことも憚られて、ナルトは黙って従兄弟の手を握り返した。周りではしゃぐ子供たちの声が、まるで遠い遠い海の底から聴こえてくるような、そんな気がした。それくらい、ナルトの頭の中は先程のサスケの横顔と従兄弟の言葉でいっぱいだった。

子供にだって分かる。
その言葉はけっして、少なくとも彼らにとっては、いい意味ではないのだ。

手を引かれ続けたままぼんやりと空を見上げて、ナルトはふいにあの瞳が見たい、と思った。
こんな昼間の明るい空ではない。もっと暗く深く澄んだ、まるで夜の空のような、ともすれば宇宙のような瞳だった。吸い込まれそうな黒だった。正面からまっすぐに見つめたのは二年前のあの時一度だけだ。もうあの日のサスケの表情も、交わした会話もナルトは覚えていない。それでもあの瞳、あのふたつの烏羽玉の瞳だけは、なぜか脳裏に焼き付いて離れなかった。

あの瞳が見たい。
あの瞳が見たい、と思った。

見ればすべて、こんなふうに自分を戸惑わすものをすべて忘れられる気がした。






Mr.宇宙人
(110406)

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