夜の庭にはまだまだ遊び足りない子供達が、明るい笑い声を上げて飛び跳ねていた。その遠い喧騒に紛れるように、叢の陰で夏の虫がかそけく鳴いている。思い出したように吹く風がちりりと風鈴を鳴らした。縁側に響く音はそれだけだった。大人たちは皆居間に引っ込んでいて、廊下には人の影すらない。ナルトとサスケの、ふたりだけだ。

唐突に自分の隣に腰を下ろした子供に、サスケは驚いたように黒い瞳を見開いた。真っ直ぐな視線がじりじりと肌を焼くような気がして、ナルトは顔を上げることができずにひたすら地面を睨む。顔が赤いのが自分でも分かった。何も考えずに隣に座ったのはいいものの、なんと声を掛けたらいいのかさっぱり分からなかったのだ。恐る恐る顔を上げては、面食らったような顔のサスケとばっちり目が合って、慌てて俯くというのを何度か繰り返す。

サスケは初め無視するつもりだったのだろう、気にしない風に再び夜の庭に視線を戻して、また何を考えているかさっぱり分からない顔でぼんやりと遠い子供達の騒ぎを眺めていた。それでもいつまでもそこを動かないナルトに、時々気まずそうに視線をチラチラと移して、扱いに困ったのだろう、ようやくそろりと口を開く。

「……ナルト?」

耳を震わせた自分の名前に、ナルトは思わずバッと顔を上げた。青い瞳をキラキラさせて、ぐぐい、とサスケの瞳を覗き込む。唐突に食い付いてきた子供にサスケはますます途方に暮れたような顔をして、わずかに身を引いたけれども、それでもナルトはサスケから目を逸らすことができなかった。あの五つのとき以来、夏の間ナルトはずっとサスケを見てきたのだ。その間にまともに会話と呼べるようなものを交わしたことなど、ただの一度もなかった。それなのにサスケがナルトの名前を覚えていてくれたのだということが、どうしようもなく嬉しかった。

サスケは周囲を気にするようにきょろきょろと視線を巡らせて、庭の子供たち以外辺りに人の気配がしないのを確認すると、ようやくナルトに視線を向ける。

「どうした?あっちで遊んでこないのか?」

そう言ってサスケは広い庭を飛び跳ねている親戚の子供たちを顎でしゃくった。ナルトもまたそちらに視線を向けて、わずかに確認できる仲良しの子供達の姿を目で追う。ナルトだって普段はあの中に混ざっているうちの一人なのだ。いつもなら真っ先に飛び跳ねて行くところだった。それでもナルトは、いい、と首をふった。

「ここにいたい」

下を向いたままそれだけを呟いて、恐る恐る隣を窺うとびっくりしたように目を開いたサスケと目が合った。ぽかんとしたその顔がなんだか幼く見えて、ナルトの胸におかしなざわめきが広がる。サスケは戸惑うように、それでもほんの少し照れたように視線をさ迷わせて、それから小さく息をついた。

「……なんも、楽しいことなんかねーぞ」
「うん」

なんでもいいから隣にいたいと、そう思うのだ。

三年、三年自分はこの叔父のことを見つめてきた。少年はすでに青年になっていた。クシナの話では、なんとか、というナルトでも名前を知っているような有名な大学にこの春合格したらしい。出逢った頃の雰囲気はそのまま、それでも整った顔のラインからは幼さが抜けて、サスケはますます綺麗で格好良くなった。夜の縁側にいると白い肌は月の光を受けて淡く発光しているように見えて、その雰囲気にナルトはごくりと息を呑む。サスケの宇宙人疑惑はナルトの中でまだ解決していなくて、もしかしたらサスケはどこか遠い星からやって来たのかもしれないけれど、それならきっとお月様からやって来たんじゃないのかと思った。サスケの空気は、一度だけクシナに読み聞かされたことのある童話に出てきたお姫様のそれに似ていた。最後には月に帰ってしまうお姫様。こっそりとサスケの静謐な横顔を窺う。いつもの制服姿ではない、ラフな黒地のTシャツからは白い腕やら鎖骨がチラチラと覗いて、やたらと目を奪われて離せなかった。深く深く揺れる、夜の闇よりも濃くて美しい宇宙のような瞳。やっぱりサスケは綺麗だ、と思った。

「……サスケおじちゃん」

なんと呼んでいいか分からなかったから、ナルトはとりあえず他の叔父たちを呼ぶ呼び方でサスケを呼んだ。一度まんまるに目を開いたサスケがそれから小さく吹き出して、からかうような苦笑を漏らす。

「おいおい、俺はまだ十九だぜ……まぁ、お前から見たら十分オッサンか」

ナルトは顔を真っ赤にして俯いた。呼び方に失敗したことよりもまず、存外に子供扱いされたことがなんだか悔しかった。恥ずかしくなって、膝の上においた拳をぎゅっと握りしめる。お兄ちゃん、と慌てて言い直そうとして、それでもその前にふっと息をついたサスケが柔らかく笑ったから、ナルトは思わず口を噤んだ。

「サスケでいい」

なんだか胸の奥がぎゅうぅと痛んだ。

それからナルトはサスケにいろいろな話をした。曾祖母の家の話や周りの山のお気に入りの場所、それから遠く離れた自分の家の話まで。なんでもいいからサスケに知ってほしかった。サスケは黙って話を聞いてくれていて、時折かすかに笑顔なんかも見せてはナルトの心臓を跳ねさせた。話してみればなんてことのない、サスケは普通の大学生だった。ずっと人形のように動かなかった表情は驚くほど簡単に柔らかく弛んで、それはナルトにだって分かる、優しい表情だ。一年前の夏の夜、一度だけ見たサスケの笑顔はいつまでもナルトの頭から離れなくて、その日の笑顔だってやっぱり今日のように包み込むような慈愛を滲ませながら柔らかく揺れていた。それは曾祖母の瞳に感じた温かさにも似ている気がした。どうしてこの青年が親戚たちに疎まれるのか、ますますナルトは分からなくなった。

「サスケはなんで、俺たちと遊んでくれないのかってば?」

ナルトは思い切ってサスケに聞いてみた。親戚にはサスケと同じかちょっと年上くらいの男たちもたくさんいて、彼らはよくナルトたちと遊んでくれたけれども、サスケがそういったふうにしてくれたことは一度もなかったのだ。そしてまた、その年の近い男たちと話しているような姿だって見たことがない。

「サスケは、俺たちのこと嫌い?」

サスケは少し困ったように眉を寄せて、いや、と言った。

「そんなことねぇよ」
「じゃあなんで遊んでくれねーんだってばよ」
「……いや、そういうわけじゃなくてな」

サスケは言葉を探すように唇をもごもごさせて、再び星の瞬く夜の空を見上げた。返事に困ったようなその横顔はやはりどこか寂しげで、ナルトは聞いたことを少し後悔する。

サスケはそのまま口を閉ざして、しばらくなにも言わなかった。沈黙に耐えきれなくなったナルトはなにか別の話題を振ろうとしたその時、ふいに足音が響いて、ナルトはまた口を噤む。廊下の先からおばさんがひとり歩いてくるところだった。我に返ったように振り向いたサスケの瞳がおばさんを捉えた瞬間、おばさんは逃げるように目を逸らして、ナルトとサスケの後ろを足早に通りすぎていく。普段はにこやかにナルトに会釈をしてくれるおばさんのその態度に、ナルトはただ驚いていた。サスケはといえば気にした様子も見せずに静かに視線を戻して、またあの見慣れた横顔でぼんやりと夜の庭を見つめていた。ナルトはサスケ、と名前を呼ぼうとして、しかしなにも言うことができなかった。何事もなかったかのように視線を庭から動かさない、サスケのその瞳には多分ナルトも庭の景色も何も映ってはいないのだ。つるんとした硝子玉みたいな色の瞳に、なんだか哀しくなる。

ややあってサスケはナルトを見もしないで、ぽつりと呟いた。

「……お前も、そろそろ中に戻れよ」

ぎょっとしてサスケの横顔を見上げる。

「な、なんでだってばよ……」

問い返した声音は、思ったよりも弱々しいものになった。いったい何がサスケの機嫌を損ねたのか分からなかった。おっかなびっくり尋ねたナルトに、サスケは慌ててお前のせいじゃないと早口に言って、それから言葉を選ぶように視線を彷徨わせる。

「あー、その、俺と話しているとな……お前のばあちゃんが、いい顔しないんだ。だから……もうこれからは、あまり俺には話しかけない方が」
「嫌だってばよ!!」

サスケの言葉が終わるのも待たず、反射的にナルトは叫んでいた。サスケの本心は分からない、けれどもサスケがかナルトを遠ざけようとしているのは明らかで、それがナルトには我慢ならなかった。話したらいい顔をされないからなんて、そんな不可解な理由でサスケを諦めきれるわけがない。

「そんなのっ、しらねーもん!わけわかんねーってばよ、ばあちゃんがどうとか……だって、みんなと仲良くしろって母ちゃんに習ったし、話して怒られるなんて、聞いたことねーもん!それに、おれは、サスケと……話、したいし……」
「……お前はわからなくてもいいんだよ。まだ子供だもんな」

ため息をひとつ、仕方なそうな顔をしてサスケは言った。それはけっしてナルトを責めるものではない、むしろ甘やかすような優しい声音だったけれども、ただただ無知な子供を宥める大人の顔でしかなかった。

「……あのな、この際だから教えてやるけど、他のガキたちは俺と話すなって親から言い含められてんだ。理由は考えなくていい、そういうもんなんだって覚えろ。いいか?」

淡々と紡がれた言葉に、昨年の夏の従兄弟の冷たい横顔を思い出す。台所の女の人たちの会話、それから先程のおばさんの態度。それらがぼんやりと繋がって、あぁやはりこの家の人たちはサスケを、と思った。けれどもそんなの、ナルトには何も関係ないのだ。ふい、と顔を背ける。

「やだ。しらねーもん、そんなの」
「あのなぁ……お前は、母さんからなんも言われてねーのか?」
「母ちゃんはそんなこと一言も言ってねーってばよ!サスケのことだって、仲良くねって言ってるぜ!」
「……あぁ、クシナさんは、やさしいからな」

ふっと笑みを漏らす、その綻んだ横顔はどこまでも穏やかで、サスケのほうこそ実は優しいんだと思った。今まで話したことがなかったから分からなかっただけで。

「お前もそのうち、わかるよ」
「……わかんねーってばよ」

ふてくされるように頬をふくらますと、まぁガキだからな、と笑われる。サスケの言葉の節々に十年という年月の差を思い知らされて、ナルトは歯痒さに唇を噛んだ。それは確かに十九のサスケから見たら八つのナルトなんて、ガキもいいとこなんだろう。それでも、どうしても近付きたい、と思うのだ。サスケにナルトを見てほしい。

「……俺、大人になったってサスケのこと、嫌いになんかならねーと思う」

呟くと、サスケは綺麗な黒眸を見開いてナルトを見下ろした。

「俺がサスケといっしょにいてーんだ……おばさん達なんて、関係ねーもん」

根拠はない。でも確信している。
いつか大人になっておばさん達の態度を理解できる日が来ても、自分の気持ちは変わらないと思うのだ。きっとずっとずっと、この不思議な叔父を追いかけていると思うのだ。
ただ、引き寄せられるのだ。

「……そっか」

ややあってサスケの吐息が綻んだかと思うと、スッ、と白いてのひらが伸びてきた。

「ありがと、な」

苦笑ではない、たしかに嬉しそうに口元をほころばせて、サスケは笑ってナルトの頭をくしゃりと撫でた。ぐわわわ、と顔に一気に熱が昇って、ナルトは慌てて俯く。それは去年の夏とまったく同じ感触で、それよりも随分とぎこちない撫で方だった。おっかなびっくり、ときどき力加減を間違えたあと慌てたように力を抜かれるのに胸の奥がじんわりと震えて、その不慣れな触れ合いと、優しくで大きなてのひらになんだか泣きたくなった。
ぐしゃぐしゃになった前髪の隙間からサスケを見上げると、いとおしげに細められた瞳の奥はそれでも淋しげで、また胸の奥がぎゅうぅとなる。サスケの目はどこまでも優しくて、けれどもそれはちっともナルトを信じていない瞳だった。サスケはもう決めつけているのだ、ナルトはいつかサスケから離れていくと。

ふいに、この人をひとりにしてはいけない、と思った。

サスケの瞳はどこまでも淋しさに揺れていた。それは確かに誰かを求めていて、けれども叶わないことを理解しきっている哀しい瞳だった。そんな目をナルトは見たくなかった。本当にサスケは月に帰ってしまうのではないかと、そう思わせるような瞳だ。ナルトでよければ変えたかった。自分は絶対にサスケの傍を離れないのだと、なにがあっても嫌ったりしないのだと、そう信じさせてやりたかった。

ぎゅっと拳を握り込んだ。なにかに急き立てられるような焦燥と、堅く誓った決意に胸の奥が熱かった。サスケの瞳を見上げる。いつか宇宙みたいだと思った深い深い黒の瞳は今はどこまでも優しくナルトを見つめていて、なんてことはない、綺麗な綺麗な地球味の瞳だと思った。ここにいる。少なくともサスケは今、ナルトの隣にいるのだ。

初めてサスケを近くに感じた、暑い暑い夏の夜だった。






地球味の瞳
(110826)

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