隣に住む二つ年上の少年、サスケはその見目の良い顔立ちとは裏腹に、目付きも悪けりゃ口も悪い、気も滅法強い、おまけにガキに対する容赦なんかこれっぽっちも持ち合わせちゃいないような、例えばナルトが何かしようものなら年下だからなんて理由で流しはせずにきっちり三倍にしてやり返す、そういう大人らしさとはかけ離れたアホだったので、ナルトのいい喧嘩相手かつまぁ幼馴染と呼んでやってもいいような奴だった。 物心ついた時から、傍にはすでにツンツン尖った黒髪の記憶。家は隣でしかも狭っ苦しい住宅街だから、お互いの部屋は窓を通じて往き来できるぐらいに近かった。 どちらかの親が仕事で遅くなる時はもう一方の家で食事をご馳走になり、風呂まで世話になるような毎日。それでなくてもナルトが八割、サスケが二割くらいの割合で、窓を越えて不法侵入を果たす。プライバシーもなにもない、その窓はナルトとサスケの境界線を曖昧にする架け橋みたいなもので、夜中だってその窓に鍵が掛かっていることはただの一度もなかった。 遠慮も知らない唐突さで向かいの部屋にズカズカと踏み込んでは、やれゲームを貸せマンガを返せおやつ寄越せよふざけんなクソバカまぬけウスラトンカチ、時にはサスケのベッドでプロレス開始(だいたい負ける)、時には丸めたポスター片手にチャンバラ合戦(だいたい負ける)、時には窓を挟んでルーム無用のデスマッチ(辞書が飛んできた時は死ぬかと思った)、ギャーギャー騒いでは親に叱られ、お前のせいだと第二ラウンド。そういうどうしようもなくアホな喧嘩を繰り返しながら、それでも疲れた時は絡み合うように一緒に眠って、目が覚めればもうお互いの頭に瘤を作ったことなどケロッと忘れている。そんなアバウトさで、それでもナルトとサスケは確かに繋がっていた。 サスケのいない日々なんてそれまでのナルトには無かったし、これからもそんな未来が来るとは思えない。仕事の忙しい両親の代わりに隣にいて毎年誕生日を祝ってくれるのはいつもサスケなのだ。バカアホまぬけと喧嘩をして、それでも額をつき合わせて笑いこけて、そういう無条件に太陽の匂いがするような光に溢れた日々が、これからも一生続くと、ナルトは漠然とながらも信じていた。 サスケは目付きも悪けりゃ口も悪い、気も滅法強い、おまけにガキに対する容赦なんかこれっぽっちも持ち合わせちゃいないような、例えばナルトが何かしようものなら年下だからなんて理由で流しはせずにきっちり三倍にしてやり返す、そういう大人らしさとはかけ離れたアホだったけれども、そういうサスケのアホなところとか負けず嫌いなところとか、面倒見の良いところとか意外と優しいところとか、ナルトは結構、いやかなり、気に入っていたので。 だから七回目の誕生日を迎えたその日、なにが欲しいとサスケに聞かれて、ナルトは迷わず「サスケ」と答えた。 「オレが十七になったら、けっこんしてください!」 驚いたように固まったサスケがきょとん、と目を丸くして、そのままぱちぱちと瞬きを繰り返す。 「し、しあわせにするってばよ!」 その沈黙をサスケが不安がっていると勝手に解釈をしたナルトは、慌ててそう付け加えた。万が一断られたらどうしよう、と背中をひんやりとした汗が伝う。チキンだ。 サスケはようやく瞬きを止めて、だからナルトはゴクリと息を呑み身を乗り出した。真剣そのものなナルトの目の前、サスケは一度小さく噴き出して、それから笑いを堪えるように唇をもごもごさせ、あぁいいぜ、と言う。 「してやるよ、けっこん」 ひゃっほー、とナルトはサスケの腕の中に飛び込んだ。 *** ガタタタン。 間抜けな音と共にナルトはベッドから転げ落ちた。突如反転した世界に瞬きを数回、所々しみの付いた無味乾燥な天井を見上げて、はて、とナルトは首を傾げる。はて、ここはどこだっけ。俺はなにをしていたんだっけ。どうしてここにいるんだっけ。さっきまでのあの幸せな空間は、あれ、サスケは? そこまで思考が至って、ようやくナルトはあぁそっか、と納得した。あぁそっか、夢か。なんだなんだ。 寝起きにギシギシ痛む関節に鞭打って、ナルトはむくりと身体を起こす。寝惚けた眼を抉じ開けながらぼりぼりと頭を掻いて、ふぁ、と欠伸をした。なにしてるのナルト、ご飯よ、降りていらっしゃい。階下から聴こえる母のやたら元気な声が耳の奥でぼんやり反響する。それに「うん」と届くかもわからないようなふわふわした返事をして、床に打った腰を擦りながら立ち上がった。その頃にはもう、夢と現実の区別はしっかりと付いていた。 当たり前だ。あんなのはもう十年前の話だし、今のナルトはさすがに男同士で結婚できると思っているほど馬鹿ではない。あの頃短い足を必死に伸ばして跨いだ窓枠はたぶんいまならひょいと越えられるし、それに今、あの窓はそういう使われ方はしていなかった。 なによりサスケはもう、隣にいない。 階段を覚束ない足取りで降りて、ナルトはのたのたと洗面所に向かった。勢いよく蛇口を捻ってバシャバシャと顔を洗う。残暑などとっくに過ぎた寒露の朝に水はすこし冷たいけれども、それくらいが丁度いい。半開きの眼を無理矢理覚醒させて、顔を上げる。鏡に映るのはただひたすらにアホだった七つの顔でも、真っ赤になって子供じゃねぇよと叫んだ十五の顔でもない。今朝一年に一回の節目を迎えたばかりの、ぜんぜん知らない人間の顔だ。あの頃になんて戻れない人間の顔だ。 壁に無造作に掛けられた日めくり式のカレンダーの日付は、花丸の付けられた十月十日。 ナルトの十七回目の誕生日だ。 *** 「……これ、なんだってばよ」 ありえねぇありえねぇマジありえねぇ、とナルトは三回心の中で繰り返した。ダイニングテーブルの上、目の前でほくほくと湯気を立てているポリエチレンの容器を見つめる。毒々しい色をした色とりどりの具が目を滑った。化学調味料の安っぽい匂いがまたなんともいえない。うん、旨そうだ。 いやそうじゃなくて。 「なにって、カップラーメンよ」 「なんでカップラーメン?」 「なんでって、誕生日じゃない」 「うんまぁそうだけど」 だからなんだよ、とナルトは先程から慌ただしく身支度を整えているクシナを胡乱げに見つめた。ピシッとしたスーツに身を包んだクシナは、鏡の前で長い髪を簡単にまとめて、振り返ると共にケロッとした顔で続ける。 「お祝い」 「カップラーメンで!?」 「なによ、好きでしょ」 「いや好きだけれども!」 ありえねぇ!とテーブルを叩くと、うるさいわよと一蹴される。 「そりゃ好きだけど!三食カップラーメンでもぜんぜん飽きねーくらい好きだけど!だからって誕生日の朝にこれは違うと思うってばよ!誕生日ってのはもっとこうさ、ケーキとか出たり、普段は食べれない料理とか並んだりしてさ、そういうもんじゃん!そりゃカップラーメンのがうめーけど、大事なのはそこじゃねーってばよ!だいたい息子の誕生日にカップラーメンって」 ナルトの必死の抗議も右から左に聞き流して、クシナは脱ぎ散らかした衣服を抱えながらバタバタと部屋の奥に消えていく。それから箪笥を開け閉めする音、なにかをひっくり返すような音が聞こえて、今度は慌ただしく階段を上っていった。ため息をつく。明日は朝から出張だ、と昨日クシナは言っていた。つまりこの仕打ちはお祝いでもなんでもなく、ただクシナが朝食を作るのが面倒くさかっただけなのだ。出張だ、と言われたその瞬間から薄々は予想していた結果だった。こんなの悔しくなんかねーぞ俺は、そう必死に自分に言い聞かせて、ナルトは伸びかけたラーメンを涙目ですする。ていうか出張の準備くらい昨日のうちにしとけよ、というツッコミは言うだけ無駄だ。なんたってナルトの母親なのだ。 「じゃあ行ってくるわね、ナルト。帰ってくるのは明日の夜だけど、ちゃんと留守番してるのよ」 クシナは再びダイニングに顔を出すと、テーブルの上に無造作に散らばっていた書類を手に取った。わかってるよと膨れたナルトに、いいこにしてるのよ、と笑って、それからごめんなさいねと付け加える。 「……別に、こんなの慣れてるってばよ。ていうか幾つだと思ってんの」 「あら拗ねてるの?」 「拗ねてねーよ!」 クシナはおよそ女らしくないやり方でひとしきり笑うと、書類をまとめて茶封筒に突っ込んだ。それからダイニングを出ていきざま、あぁ、と思い出したように振り返る。 「まぁ淋しくないわよね。誕生日はいつもサスケくんが祝ってくれてるし」 まったくもうほんとにいい子なんだから、いっそうちの息子になっちゃえばいいのにー。なんの屈託もなくそう言って笑うクシナに、は、とナルトは顔をしかめた。 「なに言ってんだよ……サスケはいま、いねーじゃん」 できるだけ自然な態度を装って、ナルトはまたラーメンをすする。心臓が嫌な感じに汗を流した。声震えてなかったよな、と頭の隅で思う。震えてはいけない。動揺など見せてはいけない。そんなことになったらこの母親はまた、あらなーに、寂しいの、あんたまだまだ子供ね、そう他意なく笑って、それがまたナルトをいっそう惨めな気分にさせるのだ。 部屋を出ていきかけたクシナがふと足を止めて、ドアのところからひょいと顔を出した。それから、あら知らなかったの、と首を傾げる。 「帰ってきてるわよ、サスケくん。昨日から」 マジで、と返した声がひっくり返った。 (101107)
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