ナルトとサスケはかつて、それはもう実の兄弟のように仲の良い幼馴染だった。 馬鹿みたいに繰り返される喧嘩も暴言も、なんのことはない、自分達にとってはただのコミュニケーションの一部。家族よりも長い時間を共に過ごして、過ごした時間の半分をケンカに費やして、それでも残りの半分は同じくらいのアホさ加減、くだらないことに腹を抱えて心の底から笑いあった。そこには年上への敬意も年下への遠慮もましてや距離なんて有りやしない、お互いのことをガキだアホだと心底思いながらも、だからってそのガキでアホな幼馴染が居ない時はまるで心にぽっかりと穴が空いたような気分になる、ナルトとサスケはそういうものだった。両親が留守にしがちなナルトの誕生日、それを毎年決まって隣で祝ってくれるのは他でもない、サスケなのだ。 でもそれは嘗ての話だ。今は違う。一昨年のナルトの誕生日、以来サスケはナルトの部屋に来なくなった。もう丸二年、顔すら合わせていない。どうしてそうなったのか、誰が悪いんだ、そう聞かれればそれは勿論ナルトが悪い。どうにもならない想いに雁字絡めにされて、前にも後ろにも動けなくなって、もうどうにでもなれ、そう思ったナルトが悪い。でもだからって、サスケだってまったく悪くないわけじゃないのだ。 だってサスケが、サスケがだ。ナルトのことなんかただの幼馴染のガキだとしか思っていない、サスケがだ。 あの日もしあんなふうにナルトを笑ったりしなかったら、たぶん俺は今でもそのどうしようもない想いを胸の奥に抱えたまま、それでもそれを必死に押し殺して、オサナナジミ、そんな甘ったるい響きのする関係を今でも続けられていたと、そう思うのだ。 *** 十五の誕生日の夜、近所の本屋のビニール袋片手に窓から上がり込んだサスケはそのダッサイ袋を放り投げて、ほら、プレゼント。ちっとは勉強しろよ、受験生。そう言ってにやにや笑った。袋からはみ出たそれは自慢じゃないが今までの人生で一度も手にとったことがない、参考書。げーと顔を顰めるナルトを笑いながら、サスケはクシナの用意したケーキを皿に乗せて、自分には恐らく勝手に持ち出してきたビールを空けた。一瞬俺も、とねだろうとして、考え直してやめる。どうせ「ガキにはまだ早い」と、自分だって未成年のくせに言うのは分かっているのだ。 ナルトはなにも言わずにフォークをケーキに突っ込んだ。十五になっても、変わらない。二年の差はなんら変わらない。埋まることなど一生かかったってないのだろう。いつまでもサスケの中でナルトは、隣の家のガキ、ただそれだけだ。お世辞にも綺麗とは言えない食べ方で皿を汚しながら、缶ビールに口をつけるサスケをぼんやりと見つめる。けれども視線に気付いたサスケが顔を上げる前に、ナルトは慌てて目を反らした。なんだよと目を細めるサスケに、別にー、とため息。なんだよ、だなんて、聞かれたって言えるわけがない。言えるわけがないのだ。俺が何をこんなにいじけているのか、なんて。眉間に皺が寄る。 ほんの少しアルコールが回ったサスケは憮然としたナルトの表情を見咎めると、酔っ払い特有の分かり易さで、む、と顔を顰めた。なんだよ、とまた呆れたような呟き。なんだよ嬉しくねーのか、誕生日だろ、お前。別に、と返した声は明らかにいじけた子供の我が侭さを含んでいて、それはサスケに拗ねんなよと一笑されただけだった。 (知らねェくせに) 理由なんて。俺がどうして、最近お前と昔みたいに笑い合えなくなったのかなんて。 ナルトの胸中など知りもしない、サスケはわずかに頬を赤くしながらくふくふと笑って、あ、そうかお前、誕プレ参考書だから怒ってんだろ。なんだよ期待してたのか?でもお前、どうせ俺が聞いたって欲しいものねーって言うじゃねーか。そうしてまたぐぐいと缶ビールを煽った。ナルトはそうだな、と言って、同時に、ちがう、と心の中で吐き捨てた。ちがう。欲しいものがないわけじゃない、ただ言えないだけで。欲しいものなら七つの頃からなにひとつ、なんら変わっちゃいない。でもナルトはもう無邪気に笑っていられただけの七つのガキじゃないのだ。あの頃なら子供の無知さを免罪符になんの後ろめたさもなく言えた言葉、今言ったらおしまいだと分かっている。 ナルトはただ沈黙を保って、その間を埋めようと休みなくケーキを口に運んだ。深く眉間に皺を寄せるナルトを見て、なんだよかわいくねぇ、とサスケもまた眉を顰める。お前さ、昔っからかわいげなんてちっともないガキだったけど、少なくとも今よりゃマシだったぜ。最近のお前、なに考えてるかちっともわかんねぇ。後ろ髪をくしゃくしゃ掻きながら面倒くさそうに呟くサスケに、そりゃそうだ、とナルトは心の中で呟いた。そりゃそうだ、なに考えてるか悟らせないようとしているもの。そう皮肉的に思って、同時に込み上げてくるのは水中で首を締め付けられるような冷たい罪悪感。あぁごめんな、ごめん。いつまでも幼馴染のままでいてやれなくてごめん。かわいいガキのままでいてやれなくてごめん。サスケはたぶん純粋に、純粋な愛というやつでナルトを可愛がってくれているのに、俺ひとり、俺ひとりがこんな醜い気持ちに雁字搦めにされている。 今のナルトにはサスケをなんのやましさもなく、幼馴染だと、そう言うことはできない。 サスケのアルコールのせいで僅かに赤く色付いた唇、いつの間にか凝視していたのに気づいて無理矢理目を反らした。クソ、と心の中で悪態を付く。そんなナルトの葛藤など露知らず、サスケは無防備にベッドにくたりと背中を預けて、うー、と伸びをした。そういえば、と薄い唇がゆっくりと動く。先程目を反らしたばかりなのに、視線はまたいつの間にかその紅に釘付けになっていた。唇から細い顎のライン、鼻筋、睫毛、ぼんやりと目で追って、続く言葉を待つ。 お前覚えてねーかもしれないけどな、七つの誕生日の時欲しいもの聞かれて、お前なんて答えたと思う? ピクリと肩が跳ねて、その動揺に密かに舌打ちをした。心臓を鷲掴みにされて試されているような気分、それでもナルトは平静を装って、残り半分ほどになったケーキをがふがふと頬張る。ナルトの沈黙をどうとったのか、とにかくサスケは頓着せずに、いまは憎たらしく聞こえるほどの軽やかさで続けた。 俺、って言ったんだぜ、お前。結婚してくださいって。なんだっけ、十七になったらだっけか。ばっかだよなー、男同士で結婚なんてできるわけねーのに。ていうかなんで十七なんだよ、一年足りねーって。 いやそれは、七つだったから十年後って単純に思ったんだってばよ、確かにバカだよなー、とか、うげー、んなこと言ったっけ?そんなのこっちから願い下げだってばよ!、とか、たぶんナルトは幼馴染としてそのようなことを笑って言わなければならなかったのだ。けれどもそう上手く自分の感情を制御できるほどナルトはまだ大人ではなくて、だからただ、だよな、という固い返事だけが漏れた。おそらく慌てふためいて否定するナルトの姿でも期待してたのだろう、軽口にすら乗ってこないナルトにつまらなそうに目を眇めて、サスケは手持ち無沙汰に空き缶を転がす。床に視線を落としたその姿がどこか寂しそうにも見えて、ナルトはギクリと息を呑んだ。わかっている。家族のような存在だった幼なじみに理由もわからないまま距離をとられて、一番それを気にしているのはサスケなのだ。 (けれども) 伏せられた睫毛が白い肌に落とす影を凝視する。今は落とされた視線、その夜闇のような瞳がこっちを見ればいいと思った。こっちを向いて、その目にナルトを映してほしい。例えば貪るように滅茶苦茶にその唇を吸ったら、あの高潔な黒はどんなふうに色を変えるんだろう。 (俺にはもうどうしようもない) サスケは新しい缶を空けて、紛らわすようにぐぐいとビールを煽った。あーあの頃はかわいかったのにな、とため息。まるでナルトの言葉を本気にしちゃいないその態度に、いっそう不機嫌な表情になるのを止められなかった。そんな、ガキの頃の笑い話みたいな調子でナルトの気持ちを片付けられたくなかった。もちろん今更プレゼントにサスケを貰えるなんて思っていないし、ましてや結婚なんて出来るはずもない。それでも当時はなんの自覚も抱いていなかった、今では自覚しているこの感情は、あの頃となんら変わりないのだ。意識は違えど、あの頃だって今だって少なくともナルトは本気だった。本気で、本気でこの幼なじみを自分だけのものにしたいと思っていた。サスケにだけはそれを笑い話されたくないのだ。 やめろよ、と静かに返したナルトに、何を勘違いしたのかサスケは軽い笑みを溢す。 「なにんな怖い顔してんだよ。冗談だって、わかってるっつーの」 瞬間ナルトの中で何かが爆ぜた。考える前に手が勝手に動き、 サスケの胸ぐらを掴み上げる。息も掛かりそうな距離まで顔を近付けて、真っ直ぐにその瞳を射抜いた。熱い、もどかしさを通り越して怒りにも似た真っ赤な感情が頭を支配して、気付けばナルトは我も忘れて怒鳴っていた。 「冗談だって、思ってんの!?お前、本当にあれを冗談だって思ってんの!?」 きょとんと目を丸くしたサスケはやはりナルトの心境などちっとも分かってはいない顔で、ただ状況に付いていけないというふうに瞬きを繰り返す。その平和じみた表情に一層ナルトの熱は燻って、胸ぐらを掴み上げた腕に力が籠った。ギリ、と憎悪に満ちた歯軋りが震えた唇の隙間から漏れる。 「ナルト……?」 ようやくナルトの怒りがいつものくだらない口論のそれとは違う、もっと異質なものだと気が付いたのか、サスケは訝しげにナルトを見上げて眉を寄せた。黒い瞳が僅かに揺れる。 「なんだよ、放せよ」 「……放さねぇよ」 「放せって」 「放さねぇ。わかんねぇの?お前、ほんとにわかんねぇの?」 「だから何がだよ、放せっつってんだろ、このガキ」 酒のせいでサスケもまた沸点が低く饒舌だった。サスケのせいじゃない、けれどもサスケにしか向けようがないどうしようもない怒りが心の底から込み上げてきて、ナルトはその真っ赤な感情に頭を支配される。ただ目の前のなにもわかっちゃいないお綺麗な顔に、この感情すべてを叩きつけてやりたくて堪らなかった。 冗談だと思っているのかよ。お前、本当に冗談だと思っているのかよ。わかってねぇのか。こんなに一緒にいて、わかんねぇのかよ。気付かれたくないよ。気付かれたらおしまいだ。でもちょっとは気付け。知ってほしい、俺の気持ち。考えろよ。俺の態度の理由、ちっとは考えて、そんで、気付け。俺を見ろ。 ガキとしてでなく、幼なじみとしてでなく――俺を、見ろ。 「……もう、子供じゃねーよ!」 「なっ、んだよ、十分ガキだろうが!なにキレてんだ、たかが冗談で」 「冗談?本気で言ってんのかよ。それ、本気で言ってんのかよ!」 「はぁ!?わけわかんねぇ、なに言ってんだよ、あたりめぇだろ、あんなガキの頃の話――」 思いきり胸ぐらを引き寄せて、噛み付くようなキスをした。ガチ、と歯がぶつかって、痛みにサスケの歯列が弛む。その隙に舌を捩じ込んで、抵抗する間も与えないまま無茶苦茶に口内を掻き回した。火照った舌がサスケのそれと絡み合って、脳味噌が焼け付くように熱かった。 冗談。あんなもの、そう思われるに決まっている。むしろそう思われてなきゃいけない。ガキの頃の、男からの言葉だ。でも聞きたくなかった。サスケの口からだけは、その言葉を聞きたくなかった。可能性なんか一%もないと、他ならぬサスケ自身から知らしめられているようで、惨めで堪らなかった。 溜まって溢れ落ちそうになった唾液をこくりと喉を鳴らして呑み込む。熱でぼんやりとする頭の中、薄く目を開いてナルトはサスケを見た。その瞬間サスケの漆黒の瞳と目が合って、ナルトはふいに現実に引き戻された。サスケは目を閉じてすらいなかった。ただ驚愕だけをその瞳に浮かべたまま、抵抗することさえ忘れたように固まっていた。それは本当に、可愛がっていた愛犬に手を咬まれた、信じられない、そんな顔で、暴走したナルトの頭を一瞬で冷やすには十分だった。 突き飛ばすようにサスケの身体を放す。サスケはその勢いのままベッドにもたれかかって、真っ赤になって唇を押さえたまま固まっていた。普段のポーカーフェイスが嘘みたいだった。 ――あぁやっちまった、と他人事のように思った。 「な、なんつって!……はは」 冷えた頭はよくやく自分のしでかしたことの重大さを呑み込んで、ナルトは上手く回らない舌でなんとか誤魔化しを試みた。引きつった顔で必死に笑いを浮かべて、けれどももう手遅れだということは心のどこかで分かっていた。 「じょ、冗談!ちょっとからかってみただけだってばよ、マジで!」 口が滑る。舌が思ったように動かない。あぁ俺はいったい何をしているんだろう、とぼんやり思った。真っ赤な顔で震えていたサスケが、その苦し紛れの言い訳を聞いていたのかは分からない。けれども例え聞いていたとしたって何の意味もなかっただろう。サスケと同じくらい真っ赤な顔をして、もつれた舌で、こんなんじゃ本気だったと自白しているのも同然だった。 サスケは我に返ったように顔を上げると、唇を引き結んだまま立ち上がりすぐさま窓に手を掛けた。ガラガラと夜の街に不器用な音が響いて、振り返りもせずにサスケは窓枠の向こうに消える。ナルトは引き留めようとして、けれども名前すら呼ぶことができなかった。目の前でピシャリと窓が閉まる。追いかけて弁解しようと上がった腰は、しかしそのまま立ち上がることもせず結局床に落とされた。追いかけて、弁解して、それで一体どうなるというのか。こうなってしまった以上、もうナルトとサスケの関係がどうにかなるとも思えなかった。 ナルトの気持ちは確実にサスケに気付かれた。これからは気持ち悪がられて避けられるに決まっている。万一サスケが半端な同情心でも起こして今まで通り接してくれるとしたって、完全に元通りというわけにはいかないだろう。知られてしまった以上これまで通り接するのは不可能だった。お互いなかったことにして、ぎこちないまま上辺だけはこの幼なじみという関係を続ける。そんな風になるのならいっそもう会わない方がマシだ。 しばらくの逡巡の後、ナルトは静かに窓を閉めて鍵を掛けた。少し迷ってカーテンも閉める。それがナルトとサスケの断絶の証だった。サスケはナルトの部屋に来なくなったし、ナルトもサスケの部屋に行かなくなった。次の年にはサスケが受験で、まったく顔を合わせなくなった二人を互いの親も大して気にも留めはしなかった。去年の誕生日は初めてサスケ以外の人間と誕生日を祝い、結局日付が変わるまであの窓が開くことはなかった。そして今年の春、サスケは無事大学に合格して一人上京していった。クシナになんと言われようと見送りには行かなかった。 それっきりだ。 *** 目を開くとあたりはもう真っ暗だった。いつの間にか眠っていたらしい。くたくたの毛布が丸まったベッドの上、ナルトは頭を掻いてぼんやりと天井を見上げる。サスケのいない二度目の誕生日はあまりに呆気なく過ぎていった。お祝いに遊ぼうという友人達の誘いも気乗りしなくて断り、結局はだらだらとベッドの上で一日を過ごした。こんなことならやはり遊びに行けば良かったと少し後悔した。 (……期待していたんだ、本当は) サスケが帰ってきているとクシナは言った。長期休みも程遠いこの時期に、この日に、わざわざサスケが帰って来たのならば、それは自分に会いに来たのではないかと。 そんな都合の良いことなど有り得ないと思う一方、心のどこかで期待している自分がいた。分かっている。次に顔を会わせたらそれはきっと永遠の断絶を宣告される瞬間か、足掛け十年の片想いをすべてなかったことにされて上辺だけの関係を築き直す、その時だ。それを受け入れる覚悟なんてナルトにはきっと一生掛かってもできない。それでも二年の空白は、ナルトに昔の自分の浅はかさを悔やませるのには十分な時間だった。今更サスケとどうにかなるなんて甘い幻想を抱いてなどいない。なんでもいい。幼なじみとしてでもいいから、ただ会いたかった。 空腹を訴えた腹が間抜けな音を立てて、ナルトは仕方なくベッドから起き上がった。まだ眠気は残っているけれども、このまま横になってまた夢の続きを見るよりはマシだ。 母の用意したカップラーメンを夕飯まで食べる気にはなれなくて、どうせならと一楽に出前を頼む。お得意様のナルトに気のいいおっちゃんは「すっ飛んで行くよ」と元気よく笑って、ナルトの沈んでいた気分はそれで少し回復した。十分もしないうちにチャイムが鳴って、おいおいおっちゃん速すぎだってばよ、と独り言、うきうきしながら階段を駆け降りる。 「はいよー」 外を確認もせずに元気よくドアを開ける。そこに佇む人影をしっかり確認したところで、その姿勢のままナルトは固まった。 すぐ目の前、玄関から溢れた光にその白い肌だけを浮かばせて、夜の闇に紛れるようにサスケが立っていた。 (110322)
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